デビット・ボームの自然観
[初出]佐野正博(1986)「デビット・ボーム」里深文彦編『ニューサイエンス入門』洋泉社,pp.126-130をもとに、一部の表現を訂正するとともに、注を付け加えた。
ボームと「隠れた変数」の理論 --- 最初は否定的、1952年に立場を変える
ボーム(David Bohm,1917-1992)は、アメリカのペンシルヴァニア州生まれの理論物理学者である。1943年にカリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得し、1947年にプリンストン大学助教授となったが、1951年にアメリカの合衆国議会非米活動委員会によってその職を追放された。以後ブラジルのサンパウロ大学を始めとして、何度か大学を変わったが、1961年以降はロンドン大学教授である。
1949年には、量子力学の標準的な教科番の一つとして有名な『量子論』を書き上げ、1951年に出版している。この本は、量子力学の正統的解釈であるコペンハーゲン派の立場に立って書かれたものであり、「隠れた変数」の存在に対してボームはこの時点ではまだ否定的な態度を取っていた。
実際、ボーム以前にも隠れた変数を量子力学の中に導入しようとの試みはいくつもあったが、1932年に隠れた変数の不可能性がフォン・ノイマンによって数学的に「証明」されて以来、隠れた変数の理論はほとんど省みられなくなっていたのである。
しかし1952年には、ボームは立場を変え、隠れた変数の理論を提唱し出した。ボーアやハイゼンベルクなど正統的な解釈では、量子力学が確率論的に解釈され決定論を否定するものと考えられていた。ボームほ、こうしたコペンハーゲン的解釈を実証主義的見解として斥け、隠れた変数を量子力学の中に持ち込むことで、ニュートン力学と同じような決定論的構造を回復しようとした。
その隠れた変数解釈の議論において、ボームは、1935年のアインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンの三者論文「物理的実在の量子力学的記述は完全と考えられるか」と同じように、量子力学の完全性を批判することから始めている。すなわちボームは、現在の量子力学の定式化に従っても、隠れた変数が可能であることの証明から始めている。
またボームは隠れた変数の値が観測対象とともに観測装置によって決まると考えた。ボームはこうすることによって、フォン・ノイマンによる隠れた変数の不可能性「証明」を避けようとしたのである。
またそれと同じ時期である1951-1953年にかけての一連の論文において、ボームは、パインズとともにプラズマ振動の量子力学的取り扱いを論じ、「ボーム=パインズ理論」を作り上げている。
ボームにおける「分割不可能な全体性」の強調 --- ボーアの相補性原理の影響
さらに1957-1959年には、電磁ポテンシャルの量子効果の存在を理論的に予言した。弟子のY・アハロノフと共同で研究を行なったので、この効果は、現在ではアハロノフ=ボーム効果(AB効果)と呼ばれている。ボームがAB効果を予言した当時、電場と磁場が実在するものであり、電磁ポテンシャルは理論上の仮想的なものに過ぎないと一般に考えられていたので、ボームのこうした考え方は否定的態度で迎えられた。しかし、ボームが予言したAB効果は1982年に実験的に確認され、正統的な電磁気学解釈は再検討を迫られることになった。
ボームは、機械論的自然観を批判するとともに隠れた変数の理論を擁護した『現代物理学における因果性と偶然性』という本を書いたことにも見られるように、もともと哲学的指向の強い物理学者であったが、1970年代からは主として哲学研究を行なっている。「分割不可能な全体」の強調という観点から、『断片と全体』、『全体と内蔵秩序』などの哲学的著作を出版している。
「分割不可能な全体性」という考え方は、自然の質的無限性という『現代物理学における因果性と偶然性』での主張からの発展であるとともに、量子力学に対するボーアの相補性解釈に影響を受けたものと言えよう。ボーアと同じように、観測対象と観測装置は分割不可能な全体をなすものであるということがボームの発想の出発点になっている。
このことは、アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドクスは世界がばらばらな部分から成るということを暗黙の前提としているために生じるのだ、とボームが『量子論』において批判していることに示されている。
運動一元論的自然観としてのボーム的思想 --- 場の理論に基づく力学的自然観への批判
ボームは、分割不可能な全体性ということから出発して、運動一元論的な世界観へたどりついた。
ボームによれば、「物体が運動する」という語り方は、物体と運動を切り離すものであり、誤りである。実在とは運動であり、運動が実在である。「最終的に運動に還元されないようなものは何もない」。原子とか電子とかすべてのものは、世界そのものである全体的運動の相対的に安定な側面の抽象に過ぎないのである。
ボームによれば、原子論的世界観や粒子論的世界観における基本的実体である原子や粒子などの自立的要素は、単に相対的にのみ自立的で安定なのである。言わば、「万物は流転する」のであり、生成変化という運動こそが実在なのである。
ボームのこうした運動一元論的世界観は、力学的自然観を超えようとする試みであり、「場」という新しい記述モデルを基礎に置く自然観の一つとして位置づけることができる。実際、力学的自然観の批判の歴史的動因の一つには、場の理論の形成ということがある。
「場」というモデルが形成されたのは、19世紀末から20世紀初頭にかけて電磁気学の成立期である。電磁気学は、電場と磁場というそれまでにない新しいモデルを生み出した。そしてそれ以後ほ、場を基本モデルとして、物理学における非力学的な方向が大きな潮流となったのである。
これによって、自然界を粒子と運動を基本として捉えるデカルト的自然観[注1](粒子論的自然観)、粒子と運動と力を基本として捉えるニュートン力学的自然観(本来的な意味での力学的自然観)という近代的自然観とは異なる新しい自然観の可能性が開かれた。すなわち、場と物質の二元論や、場の一元論という自然観が提唱され始めたのである。
例えば19世紀末から20世紀初頭にかけては、ニュートン力学を電磁気学に還元し、電磁気学ですべてを説明しようという電磁的自然観が革新的な理論として多くの物理学者の支持を集めた。
アインシュタインの特殊相対性理論は力学に基づくがゆえに、後向きの理論であり、そうした説明を好むのはブランクなど「40歳以上の人」であるとまで主張されたのである。
20世紀の物理学理論は、「場」を基本的な記述モデルとしている。例えば一般相対性理論では、万有引力は重力場という場の作用として捉えられている。そしてアインシュタインはさらに進んで、電磁場と重力場の統一を考え、場の一元論を提唱している。
また量子力学は、最終的には、場の量子論として一応の完成を見た。場の量子論によれば、素粒子はすべて「場の量子」である。例えば、電子は電子場の量子であるし、陽子は陽子場の量子である。場の量子論に従えは、量子化された場が普遍的実在である。場の量子論の自然観は、場の一元論である。
ボームの運動一元諭は、こうした歴史的文脈の中で読まなければならない。無限空間に連続的に広がり絶えず変化する場のイメージが、ボームの自然観の背景にある。(ボルツマンが論じたように、原子論は不連続性を根本に置くものである。したがって、連続性を基本とする場の自然観は、原子論とまっこうから対立するものである)
ただしボームは、隠れた変数の理論において場の量子論を道具立てとして使用していないせいもあって、まだ粒子モデルが基本的である。この点は、彼の自然観と矛盾しているように思われる。
implicate orderとexplicate orderの区別の相対性 --- 自然の無限の階層性のもとでの歴史的相対性
さらにまたボーム理解において注意しなければならないのは、彼のimplicate order(内在的秩序)とexplicate order(顕在的秩序)の区別が固定的なものではないということである。この区別は、単に歴史的な規定であり、相対的なものに過ぎない。すなわち、ボームが『現代物理学における因果性と偶然性』の中で強調した自然の無限の階層性ということを別な形で言い変えたものなのである。
あるレベルの階層から見て、その下位レベルの階層は「隠れており」、その意味でimplicate(内在的)なのである。しかし、現在は隠れている階層も、科学の進歩とともにやがてはexplicate(顕在的)になるのであって、永遠に隠れたままなのではない。
例えば、ボームが提唱した量子力学の「隠れた変数」も、現在の量子力学という階層から見て隠れているに過ぎないのであって、実験技術の進歩とともに将来は明らかになると考えられている。
ちょうど、一九世紀まで原子という階層は観測できず、本当に存在するのかどうかわからない隠れた階層であったが、20世紀になって科学の進歩とともに存在が明らかにされたのと同じことが起こることを、ボームは期待しているのである。
[注1] ここでデカルト的自然観という単語で意味しているのは、歴史的なデカルトの思想そのものではなく、一般にデカルト的とされている考え方である。デカルトは、哲学的には物体の本質を延長と捉えることによって、自然界の中から運動を追放している。物体は「延長」しているだけであり、「運動」してはいない。「延長」を物体の本質とすることは、「運動」を物体の本質とはしない、ということである。こうしたデカルト本来の自然観では、「地球は運動しているのかいなか」ということは間違った問題設定であり、「太陽を中心として地球が運動している」とする地動説的見解も、「地球を中心として太陽が運動している」とする天動説的見解も共に「不適切」な主張であることになる。
別稿で論じたように、『世界論』(Le Monde,1633)など初期デカルトとは異なり、『哲学原理』(Principia philosophiae,1644)など後期デカルトはこうした徹底的な幾何学的自然観の立場に立っていると捉えるべきである。
幾何学的自然観は物理学的には運動の相対性につながる主張として歴史的意味を持ってはいるが、自然観それ自体としては運動の存在を否定する主張であり、「運動の相対性」それ自体を否定する主張である。