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プロダクト・アウト型製品におけるDemand認識の後行性

[作成者]佐野正博 Last update: May 9, 2009

「プロダクト・アウト」型製品の場合には、明確な需要(demand)[注1]が存在しないという状況の中で製品の開発・生産が行われる。すなわち、製品(Product)開発がその製品市場(Market)の存在よりも先行しておこなわれる。
 それゆえ「プロダクト・アウト」型製品の販売に際しては製品開発の終了後にその製品の有用性や有用度をいかに顧客にアピールするかが重要になる。すなわち「プロダクト・アウト」型製品を用いることで顧客のどのような必要性(needs)を満たせるのかや、価格を上回るどのような有用性があるのかなどを明確に示して、その製品を欲求(wants)の対象とする必要がある。

プロダクト・アウト型製品の場合には、

@技術者の技術的シーズに基づく製品の先行的開発

A製品の一般的有用度に関する社会的認知の獲得

B製品開発前には認識されていなかったneedsに対する認識の形成
[個々の顧客に対する必要性(needs)の存在の認識形成、すなわち、顧客における製品利用法(用途)の開拓と提案・教育]

C需要の形成(市場の社会的成立)

といった順で進行する。

 このことをテープレコーダー、メインフレーム・コンピュータ(大型計算機)、パーソナル・コンピュータ、テレビゲームなどの事例に即して詳しく説明していくことにしよう。
  1. ソニーの初期テープレコーダーの場合


    1. 顧客に対する教育を通じた製品販売



    2. テープレコーダーの有用性に関する事後的研究


    3. 新製品に対する需要を待つ前に、新製品の有用性を伝えることが絶対に必要である



    4. 市場創造(Market Creation)の重要性


    5. ソニーによるテープレコーダー市場創造(Market Creation)の結果



  2. 初代ウォークマン「TPS-L2」の場合

    1. 新聞記者向けの新製品発表会に対する新聞社の対応 -- ウォークマンの有用性に対する社会的認知度の低さ

      ウォークマン1号機「TPS-L2」の新製品発表会に対する新聞における取り扱いは冷ややかであり、ほとんど無視という状態であった。

    2. 顧客に実際に体験してもらうことによるウォークマンの有用性に対する社会的認知の形成

      --- 「この商品は、まず聴いてもらって良さを分かってもらわないと、話が始まらない」 ---

    3. ロジャースのイノベーション普及理論における「イノベーター」or「オピニオンリーダー」としての丸井の購買担当者



  3. メインフレーム・コンピュータ(大型計算機)の場合


    1. メインフレーム・コンピュータの革新的有用性に関する社会的認知


    2. メインフレーム・コンピュータの用途を教えることができる人材の新規採用、および、セールスマンと顧客に対する教育



  4. パーソナル・コンピュータの場合

    1. エバンジェリスト(evangelist)の活用

      レミントンランド社やIBMが1950年代初頭にメインフレーム・コンピュータの販売促進のために取った上記のような手法は、パソコン業界においてもよく用いられている。
       たとえば、Apple社がパソコン販売に際して、またマイクロソフト社がソフト販売に際して、エバンジェリスト(evangelist )により自社製品の優秀性を顧客に強力にアピールするとか、教育コストを製造メーカーに代わって負担してくれる教育機関にディスカウント価格で強力に売り込むといった販売手法はよく用いられてきたし、現在でも用いられている。

      関連参考資料>
      1. 古川亨(2005)「ジョブズの右腕として、世界初のエバンジェリストと呼ばれた男」
        http://furukawablog.spaces.live.com/blog/cns!156823E649BD3714!2351.entry?_c=BlogPart
          マイク・ミューレィ(Mike Murray)は、マッキントッシュの魅力を製品発表前に一人でも多くの人に理解してもらおうと、時にはスティーブ・ジョブズと一緒になって、アメリカのセレブたち --- マドンナ、ローリング・ストーンズのミック・ジャガー、その他ジャーナリスト、政治家、テレビの司会者、各種業界の重鎮たち --- に対して、試作品のMacを抱えながら「啓蒙」の旅に出た、と言われている[注2]。そうしたマイク・ミューレィの活動を宗教の福音伝道活動になぞらえて、エバンジェリズムと定義し、その伝道師をエバンジェリストと呼ぶようになった、と言われている。

      2. 織田 浩一(2005)「AD:TECH 2005 NY 基調講演「Selling the Digital Dream」---デジタルマーケットのエバンジェリストとなるための10カ条;Garage Technorogy Venture マネージングディレクター Guy Kawasaki氏」2005/11/09
        http://weblogs.nikkeibp.co.jp/adtech2005_ny/2005/11/selling_the_dig_32ae.html
          エバンジェリストの仕事は「ブランド認知をつくることや、マーケットシェアを伸ばすことではない。消費者にとって「意味のあるもの」をつくることである。」というのがGuy Kawasaki氏の主張

      3. マイクロソフト株式会社(2006)「「難解技術を分かりやすく伝道する」マイクロソフトのエバンジェリスト」
        http://www.atmarkit.co.jp/ad/ms/evangelist0607/evangelist01.html
        http://www.atmarkit.co.jp/ad/ms/evangelist0607/evangelist02.html

      4. 日本IBM(2008)「IBM ソフトウェア・エバンジェリスト」
        http://www.ibm.com/developerworks/jp/evangelist/
          「先進技術でもってお客様のビジネスにおけるイノベーションをリードする技術エキスパートとしてのエバンジェリスト

      5. 垣内郁栄(2004)「男女9人IBMエバンジェリスト物語」『アットマーク・アイティ NewsInsight』2004/5/12
        http://www.atmarkit.co.jp/news/200405/12/ibm.html
          「IBMのテクノロジのセールスマンではなく、テクロノロジの預言者、ベストの解を見つけるのが役割」としてのエバンジェリスト


    2. ユーザー教育の場の設定
      1. ユーザー教育の場としてのNECのBit-INN東京(1976年に秋葉原に開設)

         NECは完成品のパソコン販売に先立って、TK-80というキット型ハードウェア製品をトレーニング・キット(Traingin Kitなので、商品名がTKとなっている)として販売しマイコンブームを引き起こした。
         NECが秋葉原に開設したBit-In(ビットイン)には、TK-80がもともとのターゲットとしていたエンジニアだけでなく、学生をはじめとして様々な人たちが続々とつめかけた。パソコン市場の立ち上げに、NECのBit-Inは大きな影響を与えたのである。

        関連参考資料>
        1. NEC「1979年 パーソナルコンピュータ PC-8000シリーズを発売 〜「パソコン」の誕生〜」
          http://www.nec.co.jp/profile/empower/history/1979.html
        2. 大河原克行(2000)「大河原克行の「秋葉原百景」--- パソコン発祥の地がアキバから消えた」
          http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/article/20011112/akibah02.htm
        3. 毎日コミュニケーションズ(2001)「NEC 旧・Bit-INN東京に「PC発祥の地」プレート設置」『マイコミジャーナル』(毎日コミュニケーションズ)2001/09/28
          http://journal.mycom.co.jp/news/2001/09/28/13.html

    3. テレビ・ゲームの場合

      1. 株式会社エポック社で「テレビ野球ゲーム」(1978年)から「スーパーカセットビジョン」(1984年/15,000円)までの開発に携われた堀江正幸氏の証言
          エポック社は、1975年に国産初の家庭用ビデオゲーム「テレビテニス」(定価19,500円)を出した会社である。エポック社が出した1980年代前半までのテレビゲーム機は下表の通りである。
          商品名価格備考1備考2
          テレビテニス(TVTENNIS)197519,5001975年に発売された国産初の家庭用ビデオゲーム白黒ポンテニスゲームの専用機であった。
          デジコム9(LSIゲーム)
          システム101978
          テレビ野球ゲーム1978野球盤という玩具で有名なエポック社が出したテレビ野球ゲーム
          カセットTVゲーム197957,300アタリのVCS(1977年;Video Computer System 、それ以前のゲーム機はプログラム固定方式であったが、ロムカートリッジを取り替えることによって様々なゲームソフトが遊べるプログラム内蔵方式のゲーム機)をエポック社が輸入して販売したもの。高価であったが、その当時に家庭で本格的インベーダーがプレイできたのはこのマシンだけであった。
          テレビベーダー198016,500 インベーダーゲームを家庭用にコンパクトにまとめたもの。大ヒットした
          カセットビジョン198113,500 ポンテニス、エレベーターパニックなど初期の複数のテレビゲームをこれ一台で楽しむことができる
          スーパーカセットビジョン198415,000 128枚の強力なスプライト機能搭載。ルパン三世やスタースピーダーなどユニークなゲームが多数あった。

          エポック社は、1978年にシステム10という製品を発売したが、テレビゲーム機というジャンルの製品そのものに業界も、顧客もほとんどなじみがなかった。そのため最初は顧客への啓蒙活動やサポートが大変であった。
          堀江氏はそのことに関して、「業界も、うちの会社も、お客さんもそうだったんですけど、家庭用テレビゲームをテレビにくっつけるって文化がなかったわけですよ。今はビデオ端子があって、少し前はスイッチボックスってのがあって、あれにつなげればいいってのはみんなわかってますよね。あとチューニングも2chにすれば映るとか。でも、そういう最初の頃は、画面がうつらないという苦情が毎日のようにかかってきたんです。
          だから、うちの果たした役割というのは、任天堂さんのファミコンが出る前だったから、露払いなんですね。すごい啓蒙活動をしたんですよ。その頃私は大阪の営業所にいたんですけど、もう、ダメだったらほとんどお客さんの家までとんで行きましたよ。電話での説明は難しいので。営業所(大阪)から和歌山くらいまで。関西の方は親切な人が多くて、電話の時は「わ、恐いなー」と思っていても、いろいろごちそうしてくださったり。ビールや夕飯までごちそうになってしまって(笑)。
          昔のテレビって画面の範囲がせまいんですね、画面の角が丸くて、だからゲーム画面が全部入ってないとか、そんなことが多かったんです。水平振幅や垂直振幅の調整までやってあげちゃうわけですよ。後ろに回って掃除機かかえてほこり取ってあげたり、曲がってたりしたら直して。」と証言している。
          [出典]寺町電人(1998)「先駆者に聞く創世の時代 Game Frontiers interview01 エポック社 堀江正幸氏に対するインタビュー」『クラシックビデオゲームステーション オデッセィ』
          http://www.ne.jp/asahi/cvs/odyssey/creators/horie/index.html

[注1] 需要(demand)が明確かどうかという問題は、新製品に対する需要(demand)予測が根拠を持ってどの程度まで正確に予測できるのかという問題である。潜在的な需要(potential demand)であれ、すでに存在する顕在的な需要であれ、当該種類の製品に対する需要の存在が社会的に明確に認識されている場合には、ある程度の正確な需要予測が可能な中で新製品開発が行われることになる。
 こうした場合の新製品開発は、テクノロジー・プッシュ(Technology Push)/プロダクト・アウト(Product Out)型ではなく、デマンド・プル(Demand Pull)/マーケット・イン(Market In)型として位置づけられることになる。
 企業が同一の顧客層を対象としてイノベーションをおこなう場合、すなわち、クリステンセン的な意味での持続的イノベーションの場合には、需要予測は比較的正確におこなえる。クリステンセン『イノベーションのジレンマ』第7章「持続的技術と破壊的技術の市場予測」pp.198-201の図7.1などを参照のこと。
[注2] これと同様のことは、ソニーの初代ウォークマンの場合にも行われた。本Webページ内の該当箇所を参照のこと。

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