科学的認識における相対性と相対主義
佐野正博
科学の優越性が一般に認められている現代社会では、科学の成果の全面的否定が主張されることはあまりない。科学的認識を通じてしか真理が獲得できないわけではないとか、科学的認識は限界づけられたものであるとか、科学的認識とイデオロギー的認識との間に本質的差異があるわけではないという形で、科学的活動とそれ以外の知的活動との同列化、相対化が図られることが多い。
本稿ではそうした考え方に対して、<科学的認識の中に事実として存在する相対性>と、<相対主義>を区別するという立場から相対主義的科学観に対する批判を展開したい。というのも相対主義的科学観をめぐる賛成論の中にも反対論の中にも、<相対性の事実>と<相対主義>との混同が数多く見受けられるからである。相対主義者が主張するように科学的認識の中に相対性が存在することは確かに否定できない事実である。しかし<相対性の事実>を認めることは<相対主義>を認めることではない。相対性の事実から相対主義が論理的に帰結するわけではない。科学における相対性の事実の存在によって、科学とイデオロギーとの本質的同質性を主張する相対主義的科学論がすぐに正当化されると考えるのは誤っている。
以下、第一節では、(1)科学的認識の歴史的発達、(2)科学的なものとイデオロギー的なものの歴史的共在、(3)経験的事実の歴史的限定性、(4)観察の理論依存性という四つの側面から科学的認識の中に実際に事実として存在している相対性の問題を論じるとともに、そうした相対性の事実を根拠とした相対主義的議論の展開を見ていくことにする。次に第二節では、<科学的なもの>と<非−科学的なもの>との歴史的共在の問題を取り上げ、科学的認識活動の歴史的=社会的相対的自立の観点から相対主義的科学観の批判を行なう。そして第三節では、<科学的であること>と<真理であること>の連関と区別という視点から、科学における相対性の事実を認識論的にどのように理解すべきなのかを示すことで相対主義的科学観に対する批判を行なう。
1 科学的認識における事実としての相対性とその相対主義的理解
科学的認識は歴史とともに一歩一歩着実に進歩してきた。例えば物理学の分野では、古代から中世にかけて多くの天文学者たちが正しいと信じ続けてきた天動説の誤りが近代になってコペルニクスやガリレオやニュートンらによって明らかにされ、地動説が勝利した。そしてそれと同時に、天動説の支えとなっていたアリストテレス的自然学の誤りも明らかにされ、最終的にはニュートン力学となって結実した。そして二〇世紀にはニュートン力学が光速度に近い領域で誤っていることがアインシュタインの特殊相対性理論によって、ミクロな領域で誤っていることが量子論によって示された。
このように科学的認識が歴史的に発展するものであるということは、科学の中に歴史的相対性が現に存在することを示している。科学的認識の歴史的進歩の過程は、一面では誤謬の暴露過程でもある。天動説は誤っていたがゆえに地動説に取って代わられたのである。またニュートン力学の中に不十分な点があったがゆえに、相対性理論や量子力学といった新しい物理学理論が提唱されたのである。科学においてはこのように先行理論の限界や誤りの明確化を通して歴史的進歩が成し遂げられてきた。自然が汲みつくせないものであり、科学が永遠に進歩するものであるならば、現時点で正しいとされている理論もやがてはその限界や誤りが明らかにされるであろう。
すべてのものは一定の歴史的限界を持ちその意味で相対的である、ということは科学的認識にも当てはまる。科学的認識に関する歴史的相対性の存在自体について疑うべき余地はない。ある時点において多くの人々によって絶対的な真理だと考えられていたものであっても後にその誤りが明らかになることはある。このことが科学的認識における第一の相対性の事実である。
この第一の相対性の事実などを根拠として、数多くの経験的事実によって支えられ現在もっとも優れているとされている科学理論も過去の歴史的事実から
帰納的に考えればやがてはその誤りが必ず明らかにされるとか
[1]、科学理論は結局のところ「永遠の仮説」に留まるものであり「われわれは真理の探求者であるが、真理の所有者ではない」
[2]といった相対主義的見解が展開されている。逆説的なことに、科学的認識の歴史的発展自体が相対主義の根拠とされているのである。
(2) 科学的なものとイデオロギー的なものの歴史的共在
ガリレオの地動説に対するローマ・カトリック教会の弾圧に代表されるような科学と宗教の対立にも関わらず、コペルニクスが教会の聖堂参事会員という聖職者であったことに象徴的に示されているように、科学的認識の形成に携わってきた近代「科学者」の多くはキリスト教徒であった。また近代科学は思弁ではなく観察と実験に基礎を置くことによって偉大な発展を遂げてきたということは真実であるが、一方でまた、歴史的に存在した近代の「科学者」たちは実際には数多くのイデオロギー的思弁の中に身を置いている。
例えば、コペルニクスは近代物理学的思考法からなおかなり遠く離れた地点にいた。コペルニクスが地動説を解説した公刊物は彼の死の直前に印刷が出来上がった『天球の回転について』だけであるが、彼の基本的考えを説明しているその著作の第一巻には今日から見るとはっきりと非科学的と思われるような表現が数多く見られる。例えば、第一巻第三章では「天より美しいものが何かあるだろうか・・・・かくも高い荘厳さのゆえに、哲学者はそれを見える神と呼ぶ」と書いているし、第十章では「(宇宙の)中央に太陽が静止している。この美しい殿堂のなかでこの光り輝くものを、四方が照らせる場所以外のどこに置くことができようか。ある人々がこれを宇宙の瞳と呼び、他の人々が宇宙の心と言い、さらに他の人々が宇宙の支配者と呼んでいるのは決して不適当ではない。」と書いている。コペルニクスは、太陽が宇宙の中心にあって静止しているとする太陽中心説的地動説の主張を太陽信仰と結びつけて理解していたのである。しかもこうした太陽信仰的発想はコペルニクスだけではなくケプラーやガリレオにも共通している。
またケプラーは、神は何ものも計画なしに創造することはないがゆえに、惑星の数や公転軌道の大きさや運動のありかたも偶然的なものではありえないというような発想に立って自らの天文学研究を進めていた。例えば彼は、彼の時代に知られていた惑星が水星・金星・地球・火星・木星・土星の六個であったことから、惑星の数が「なぜ二十あるいは百ではなく六つなのか」ということの理論的根拠を探し求めた。結果としてケプラーは幾何学主義的立場から、「量は立体とともに初めに創造され、天体は次の日に創られた」がゆえに数は幾何学的な量の偶然的属性に過ぎないと考えて、六という惑星の数を正多面体が五つしか存在しないという幾何学図形に関する論理的事実によって根拠づけた。そして、太陽系内の各惑星は五つの正多面体に内接・外接する同心天球上に存在すると考えた。ケプラーによれば、「至高至善の創造主が、運行するこの宇宙を創造し天体を配列するにあたっては・・・あの五つの正立体に注目し、惑星の数と相互の距離の比と運動の理法をそれらの本性に適合させ給うた」のである。
[3]
科学的なものとイデオロギー的なものとの共在は、コペルニクスやケプラーにとどまらず、錬金術に熱中していたニュートンや、空間を神の感覚器官(センソリウム)と考えるニュートンの中にも見いだせる。そしてまた近代の「科学者」にとどまらず、すべての運動を相対的であると考えるマッハや、人間原理に基づいて宇宙の生成過程を説明しようとするホーキングらの現代科学者の中にも同様のことが見出せる。
このように科学的なものとイデオロギー的なものが同一の「科学者」の思考の中に同時に存在することがあるということ自体は疑いえない。しかも問題なことには、科学的思考とイデオロギー的思考とがその個人の意識の中において完全には分化してはいない。確かに現代的観点から後知恵をもって反省的に見れば、コペルニクスの場合であれば、地動説という科学的見解とそれに対する太陽信仰的解釈というように科学的なものとイデオロギー的なものとを分離して考えることができる。しかし歴史的過程は実際には必ずしもそのような場合ばかりではない。「科学者」の思考過程が科学的なものとイデオロギー的なものとにはっきりと完全に分裂して営まれるわけでは必ずしもない。また科学的なものが時間的に常に先行し、イデオロギー的なものが常にその後に登場するというわけでもない。
科学的なものとイデオロギー的なものとが歴史的に共在していることは疑いもない歴史的事実である。これが第二の相対性の事実である。科学論的相対主義者はこの歴史的事実を自らの主張の大きな根拠と考えている。
相対主義者によれば、コペルニクスやケプラーの事例はまさに科学的なものとイデオロギー的なものという常識的対置の仕方が間違っていることを示している。科学と非科学とを区別する基準は、曖昧であるだけではなく、時代によって変化する価値的なものに過ぎない。例えば村上陽一郎氏は、コペルニクスにとってネオ・プラトニズムやキリスト教が「科学外のよけいな夾雑物」ではなく、「地動説という一つの知識に関わるモデルを論ずるときに絶対不可欠な要素」、すなわち、「科学内の要素として考えていたに違いない」として、
「科学的」と「科学外的」なもののカテゴリカルな区別を立てない全体論的アプローチを取るべきだと主張している。
[4]
相対主義者は、科学的なものとイデオロギー的なものとは単に相互浸透的であるのではなく、そもそも両者の区別が認識論的には意味を持たない、とまで主張しているのである。相対主義者によれば、科学的なものの根底には価値的前提があり、その意味では科学的なものもイデオロギー的なものである。科学的認識も価値的認識と同じく時代と社会の産物であり関数である。それゆえ科学的認識に真理を割り当て、イデオロギー的認識に価値を割り当てるという真理と価値の二元論は誤っている、とされる。例えば廣松渉氏は、「科学理論も一種のイデオロギーにほかならないこと、これはマルクスによって夙に指摘されていた」と述べるとともに、「対象認識そのものの価値被規定性の対自化」や「存在学と価値学との統一」を主張している
[5]。
科学的認識も一つのイデオロギー的認識に他ならないとするこうした相対主義的主張を支えるものとして、科学者が議論の基礎とする経験的データが歴史的・社会的に限定されたものであるという事実や、観察や実験が理論に依存しているという事実がある。次にそうした相対性の事実とそれに基づく相対主義者の主張を見ていくことにしよう。
(3) 歴史的視点から見た場合の、経験的事実の相対的限定性
自然をどこまで精密に測定できるかは社会的、歴史的に限界づけられている。そして測定装置や実験装置の限界は、利用可能な経験データの限界であるとともに、理論的認識の限界でもある。
例えば、一七世紀以前には天体観測に望遠鏡が利用されることはなくもっぱら肉眼に頼っていたため、天体の明るさや位置に関するデータの精度は現在と比べて極めて低いものであった。そのため惑星の見かけの位置や明るさの変化に関する肉眼観測によるデータは地動説によっても天動説によってもほぼ同じように説明でき、決定的な優劣をそれによってつけることはできない。
こうしたことは天体観測の装置に限らず、さまざまな実験装置や測定装置に関しても言える。そのため、科学的仮説の真偽は仮説が作られた瞬間にはっきりはわかるとは限らない。最初は誤りとして他の多くの科学者たちから無視された科学的仮説が、後に明らかになった経験的データによって実際には正しかったことがわかる場合もある。
実際、地動説は古代ギリシアで既にアリスタルコスらによって提唱されていたにも関わらず、その正当性を直接的に証明する経験的な天文現象は、ブラッドリによる光行差現象の発見が一七二七年、ベッセルによる恒星の年周視差の発見が一八三八年、フーコーの振り子の実験が一八五一年であることに示されているように地動説の提唱時から二千年以上もたってからやっと得られた。
近代になってコペルニクスが地動説を提唱した時点においてもまだこれらの観察事実は発見されていなかったのである。このことはガリレオも認めていた。彼は、地動説に有利な経験的事実の発見がないだけでなく天動説の諸根拠が「非常に真実らしい」ものであった状況下で地動説を提唱したコペルニクスやアリスタルコスに関して、「どうしてアリスタルコスとコペルニクスとにおいて、理性が感覚に暴力を加え、感覚にそむいてまで(地動説が)かれらの信用をかちとることができたのかと限りなく驚嘆する」と述べているのである
[6]。
また十六世紀のティコ・ブラーエは、デンマークのフーヴェン島のウラニボルフ天文台における精密な観測をもってしても恒星の年周視差が発見できないことを一つの根拠としてコペルニクス的地動説が誤っていると考えていた。そして十七世紀初頭に望遠鏡を使って天体観測を行なったガリレオもまた年周視差を発見できなかった。
しかしガリレオはそれにも関わらず地動説が正しいと考えた。彼は望遠鏡によって発見したその他のいくつかの観察事実をもって地動説を正当化できると考えていたのである。けれども後知恵で考えれば事はそんなに単純ではなかった。金星が月と同じように満ち欠けし「満月」状態の時に最も小さくなるというような観察事実は、確かにプトレマイオス的な周転円的天動説の誤りを示すものではあったが、この事実自体はガリレオの発見以前に提唱されていたティコ・ブラーエの天動説によって既に論理的には予測されていたものであった。というのも、宇宙の中心にあって静止している地球のまわりを太陽がまわり、地球以外の惑星は太陽を中心に回転するとするティコ・ブラーエの天動説は、その理論力学的な内容を別にすれば、地球から見える惑星や恒星の運動の説明に関する限りコペルニクスやガリレオの地動説と数学的にもまったく同等だったからである。
[7]
また、二〇世紀以前には同位体の存在は知られておらず、同位体を分離して原子量を測定することはされていなかった。そのため、純粋な塩素の原子量が整数ではなく35・5になると十九世紀には考えられていた。その結果として、すべての純粋な元素の原子の質量が水素の質量の整数倍になるとする一八一五年のプラウトの仮説は、経験データと矛盾するものと考えられ一九世紀には受け入れられなかった。その正当性が認められるようになったのは、二〇世紀における同位体の発見以後のことである。
このように、ある特定の時点で科学的仮説の真偽を判定するための基礎として利用可能な経験的事実は社会的、歴史的に限定されている。コペルニクスやガリレオやプラウトがそうであったように、歴史的に後からふりかえって見れば不十分なデータや仮説的前提の上に立って「科学者」は理論を展開せざるを得ない。
実際、現在の宇宙物理学者は、太陽系の中の、しかも地球という一つの惑星の近くという宇宙全体から見れば極めて微小な領域での観測データに基づいて議論しているに過ぎない。さらにその上、そうした限定されたデータだけからは十分には検証することができないようないくつかの仮定、例えば宇宙空間が全体として等方で一様であるというような仮定に基づいて宇宙論を展開しているのである。
また対立する科学理論が、知られている経験的事実の多くに関して同等の説明能力を長期間にわたって保持し続ける場合もある。例えば、近代までの地動説と天動説がそうであったし、一九世紀前半までの光の粒子説と波動説もそうであった。
この限りにおいて、クーンが主張するように、「観察や経験によって、たしかに科学的に受け入れられる所信の幅というものをきびしく限定することができよう。そうでなければ、科学というものは存在しえない」にも関わらず、ある特定の時点で得られている経験的データだけでどれが正しいのかを決めることは必ずしもできないのであり、「個人的、歴史的偶然にいろどられた恣意的要素が、常に一時期における一つの科学者の所信の形成要素となっている」
[8]というような相対性が事実として存在することを認めざるを得ないであろう。これが第三の相対性の事実である。相対主義者の解釈によれば、このことは、科学者の理論選択に価値的なものが関与しているということにとどまらず、科学者の理論選択が
本質的に価値選択であることを示すものである。
(4) 観察や実験の理論依存性・・・科学理論の経験的テストにおける「循環」の問題
科学者は理論や理論的法則抜きに観察や実験を行うことはできない。すなわち、科学的に精密な測定装置は何らかの科学理論を前提としているのであり、理論的前提なしに科学的データが形成されるわけではない。確かに原始的な測定や日常的な測定の中には何らの前提もないように見える。しかし日時計が太陽の見かけの運動(実際には地球の自転運動や公転運動)の規則性を前提としているように、実際にはそうした測定においても何らかの前提が存在する。そして測定値の普遍性や種類の異なる複数の測定装置の測定値の関係が問題となるような科学的測定においては理論的前提が不可欠である。科学的に厳密で精密な測定を行なおうとすればするほどそれだけ深く科学理論と関わらざるを得ない。
例えば振子時計が示す時刻の正確性の基礎には振子の等時性があるが、この振子の等時性に対する科学者の強固な信頼は、日時計など種類の異なる他の測定装置が示す時刻との相対的一致による経験的保証だけでなく、単振子の周期がT=2π√l/gであることに関するニュートン力学的説明による理論的保証によっても支えられている。しかもニュートン力学という物理理論は、振子時計によって測定される時間の値に物理学的な意味を与えるとともに、振子時計の信頼性の限界をも示している。
[9]
時間を測定する装置に関する理論依存性は、原子時計になると一層はっきりしている。一九六七年に採用された原子時計の規定では、「セシウム133原子の基底状態の二つの超微細準位の間の遷移に対応する放射の9192631770周期の継続時間」が一秒間として定義されているが、これは量子力学的理論に依存した定義である。
また長さを測定する装置に関する理論依存性は、一メートルの単位に関する一九八三年の規定の中に見て取ることができる。すなわち「ヨウ素安定化レーザーで光が299792458分の一秒間に進む距離」という一メートルの定義は、光速度が一定であるという特殊相対性理論に依存した定義である。
さらにまた、電圧値や抵抗値の測定に関して、一九八八年の国際度量衡委員会では、電圧をジョセフソン効果によって、抵抗を量子ホール効果によって規定することが勧告されたが、こうした電気系の測定単位の定義も量子力的理論に依存したものである。
測定単位がこのように科学理論に依存して規定されている限りにおいて、科学的な実験や観察は科学理論に依存して遂行されていることになる。こうした意味ではすべての科学的データは何らかの科学理論を前提として形成されるのであり、科学理論がまったく関与していないありのままの科学的データというようなものは存在しない。科学において「経験的なもの」は「理論的なもの」に依存している。これが第四の相対性の事実である。
しかしこれまでと同じく問題はこうした事実をどのように理解するのかということである。相対主義者は、こうした理論依存性ゆえに科学的データによる科学理論のテストというものも実はイデオロギー的解釈と同じく論理的循環を含むことになると解釈している。
このことを、磁場Bが長さLの電流Iに及ぼす力Fに関する古典電磁気学の理論的法則F=BILの実験的テストを例にとり考察することにしよう。図一のような形で各装置が配置されているとする。この時、馬蹄型の永久磁石が形成する磁場Bの大きさは不明であるとしても、その磁場が銅線に流れる電流Iに及ぼす力Fが電流Iの大きさに比例するかどうかはこの測定実験によって簡単に調べることができる。単純に考えれば、実際にこうした測定を行うことによって、F=BILという法則の正しさが実験的に証明されることになるであろう。
しかし電流計の理論依存性を考慮に入れるならば事態はそう単純ではないことがわかる。電流は目に見えないし、その大きさを手で測ることもできない。日常的物体の長さがモノサシによって直接に測定されるのとは異なり、電流の大きさは電流計によって直接に測定されているわけではない。電流計としては一般に図二のような構造のものが使われているが、こうした電流計では電流の大きさIは電流計の針が基準位置からどれくらいの角度θだけ振れたかということとして示される。すなわち、科学者がこうした電流計によって直接に測定しているのは針の振れの角度に過ぎない。それゆえ図一のような実験装置によって「直接に」テストされているのは、銅線を流れる電流に馬蹄型の永久磁石の磁場が及ぼす力の大きさが電流計の針の振れの角度θに比例するということにすぎない。
電流計の針の振れの角度θと電流の大きさIとを関係づけているのは図一のような装置系でまさに実験的テストの対象とされている理論的法則F=BILそれ自体である。すなわち、永久磁石がつくる磁場の大きさをB、可動コイルの高さをh、巻数をnとすると、可動コイルを流れる電流全体に磁場が及ぼす力の大きさは、前提されている法則F=BILより、F=n・BIhとなる。可動コイルの直径をaとすると、渦巻きばねに働く力のモーメントNは、N=F・a=nBIhaとなる。そしてまた、渦巻きばねの弾性定数をkとすると、電流計の針の振れの角度がθの時に渦巻きばねがおよぼす力のモーメントNはkθになる。磁場がコイルの電流に及ぼす力による力のモーメントと、渦巻きばねの弾性力による力のモーメントがつりあったところで、電流計の針は静止する。したがってnBIha=kθとなり、電流の大きさはI=kθ/nBha となる。
このように電流計は、F=BILという理論的法則を前提として科学者という主体によって設計されたものである。そのため論理的にのみ考えれば、図一のような装置系での法則の実験的テストはその中に循環を含むものであり、F=BILという法則が正しいという実験結果は循環的正当化に他ならないように思われる。磁場が電流に及ぼす力に関する理論的法則としてどのようなものを前提したとしても、図一に示すような装置系を用いた測定によってその理論的法則の正しさが実験的に証明されることになると思われる。
例えば、電流計の設計における前提理論としてF=BILの代りにF=BI2Lを採用したとすれば、I=√k/nBha・θというように電流の大きさIと針の振れの角度θとの関係は変化することになる。関係のこうした変化に応じて電流の大きさを示す電流計の目盛をきちんと書き換えて電流の大きさを測定したとすれば、磁場が電流に及ぼす力の大きさFが電流計の針の振れの角度θに比例するという「直接の」実験結果から、今度はF=BI2Lという理論的法則が正しいことが証明されることになる。すなわち、Fがθに比例し、θがI2に比例するいうことから、FがI2に比例するということになる。F=BIbL(bはある定数)型のものに関してbがゼロを除くどのような実数であってもこのことは成立する。
このような例から単純に考えれば、確かに相対主義者が主張するように、観察や実験の理論的依存性ゆえに科学理論の実験的テストが論理的に無意味なように思われる。異なる理論に応じて異なる経験的データが得られることになり、対立する理論どうしを共通の経験的データによって比較することができなくなるように思われる。実際、理論依存性を根拠として科学もイデオロギーと同じように経験に関して自己正当化的であり、科学理論と理論的イデオロギーとの絶対的区別は無意味であると主張されることが多い。例えば廣松渉氏は、「観察事実を突きつけるといっても、それは既に理論を負荷されている。A理論の保持者とB理論の保持者とでは“同一の対象的与件”を観察したとしても、それぞれの理論を負荷された相で観察事実を得てしまう。“裸の観察事実”など抑々存在しないのであるから、観察事実それ自身が理論を倒すことはトリヴィアルに不可能である。」
[10]と書いている。またクーンのパラダイム論は、イデオローグが理論的イデオロギーを前提としてその立場から経験的事実を解釈しているのとの同じように、科学者は一つのパラダイム(科学理論)を前提としてそれから経験的事実を解釈していることを示した、と「解釈」されることが一般的に多い。
2 理論科学的認識とイデオロギー的理論認識の歴史的分化
第一節では四つの相対性の事実とそれらに関する相対主義的解釈を紹介してきた。ここではまず、科学的認識活動の歴史的分化という視点からそうした相対主義的見解を批判していくことにしよう。
基本的なことは、イデオロギー的なものの中にも認識的契機があるとともに、科学的認識の発展の中にもイデオロギー的側面が含まれており、科学的なものとイデオロギー的なものは相互媒介的・相互浸透的であるということである。
[11]
イデオロギー的なものは科学的認識の発達の障害物であると単純に規定することはできない。神の完全性のゆえに神が製作した機械である自然は人間が製作した機械とは異なり修理や修繕を必要とせず途中で故障して止まるようなことはないとする神学的考えに基づいて衝突における運動の量に関する保存則を正当化したライプニッツ
[12]の場合のように、イデオロギー的なものが科学的認識の歴史的発達にとって正の役割を果たすこともある。またガリレオは自らの考えのイデオロギー的正当化のためにプラトニズムを利用している。しかしそうしたことは、イデオロギー的なものが科学的なものになることを意味するわけではない。
科学的なものとイデオロギー的なものの歴史的共在は、理論的認識としての両者が互いに密接な関連を持ち相互に影響しあう場合もあるということを意味しているだけである。それは相対主義者が主張するような科学的なものとイデオロギー的なものの本質的同一性を意味するものでは決してない。
科学的とは何かという科学性の規定は、認識と対象の一致という真理の規定とは異なり、歴史的=社会的な規定である。すなわち、科学的とは何かということは、イデオロギー的なものと区別された特定の知識獲得の手続きの社会的存在として与えることができる。そうした手続きはコペルニクスの時代において社会的に明確に分離された形ではまだ存在していなかったのであるから、コペルニクスに「科学的」と「イデオロギー的」という分類を適用するのは歴史内在的には無意味である。
現代における科学性の観念は、職人的伝統とスコラ的伝統との総合に近代科学の成立の原因を見たツィルゼルのように、経験的なものと理論的なものとの総合をその本質的構成要素としている。観察や実験といった経験的なものを基盤とした理論的認識の形成こそが、科学的なものとイデオロギー的なものとの社会的分離の意味内容であると現代では考えられている。科学性に関するこうした現代的な規定は、次に述べるような三つの契機を通じて歴史的に徐々に形成されてきた。そしてそうした規定に基づく科学とイデオロギーとの分離が社会的に明確に意識されるようになったのは19世紀ヨーロッパにおいてであった。
経験的なものと理論的なものの総合としての科学という観念は経験と理論との相対的分離を前提としているが、経験と理論とのそうした相対的分離はすでに古代に存在していた。例えば同心天球説的天動説を信じていたアリストテレスが、天体現象の経験的規則性の説明という観点だけから言えばまったく不要であるにも関わらず、それ以前のカッリッポスの体系よりも天球の数を十二個も増加させたのは理論的対象としての同心天球を実在的なものと見なしたためであった。また古代の天文学者たちの多くがしだいに道具主義的立場に立つようになったのは、天体の運動に関する経験的認識と理論的認識の相対的分離が明確になる中で、天体に関する経験データを同心天球説的天動説よりもよりよく説明するためにどうしても必要とされた周転円や導円などの理論的道具立てがアリストテレス的な円運動の原理という理論と整合的ではないという問題や、天体現象に関する理論的仮説の正当性が経験的認識によってすぐにはっきりとは判定できないという問題に直面したからであった。すなわち、彼らは経験と理論との相対的分離をあまりにも強く意識する結果として、そうした分離を実在と理論との相対的分離であると理解するようになってしまったのである。
古代には天体現象に関して一定の経験的データの蓄積があった。しかしそれにも関わらず、それらの経験的データは互いに矛盾する複数の理論によっても同じように説明可能であった。すなわち、理論的内容においては互いに対立しておりともに真であるとはとうてい考えられないような理論体系が「現象を救う」能力において同等であることが古代には明らかになった。例えば、同心天球説的天動説と現象との不一致が明らかになった後に天動説的立場から現象を説明しようとする探求の中で、周転円と導円を組合わせた理論体系と、離心円を用いた理論体系という二つの理論が提唱された。これらの理論は地球から観測される天体現象を説明する能力においてはまったく同等であることが数学的に証明できたが、天体が実際にどのような運動をしているかという点においては互いに絶対的に対立している。(しかも中世以降になってからも問題にされたように、どちらの理論体系もアリストテレス的な円運動の原理とはあまり適合的ではなかった。コペルニクスが地動説提唱の根拠の一つとしているのもまさにそのことであった。)
また地動説と天動説というようなもっと絶対的に対立すると考えられる理論体系も、地球から観測される天体現象の説明能力という点ではほぼ同等であり、当時の天文学的な経験知識だけによってそれらの内のどちらが本当に正しいのかを決定的に確定することはできなかった。周転円的天動説の完成者であるプトレマイオスも「星自体について見える限りでは、いっそう簡単になるから地球が自転するとしてもおそらく差し支えないことは明白である」
[13]として地動説的理論の可能性を認めざるを得なかった。プトレマイオスが天動説の正当性の決定的根拠としているのは、星に関する観測データではなく、地球の自転や公転といった運動が人間の日常的経験によっては捉えられないということであった。
こうした状況の中で、天文現象に関する経験的認識と理論的認識との相対的分離が人々に強く印象づけられるとともに、天体運動を対象とした自然認識に関する限り経験データの蓄積とその数学的説明以上のことが必要であることがはっきりと意識されるようになった。
そのことは、天文学と自然学の区別という形において論じられている
[14]。紀元前一世紀頃に活躍したポセイドニオスは「何が本来不動であり、何が動くかを知ることは、絶対に天文学者に属することではない。・・・・原理に関しては、天文学者は自然学者に助けを求めなければならない。」と語っている。また一三世紀になってからではあるが、トマス・アクィナスはアリストテレス『自然学』への注釈の中で「天文学の有する帰結のいくつかは自然学と共通である。しかしながら、天文学は純粋には自然学ではないので、そのような帰結を別の手段でもって証明する。」として「天文学者の手続き」と「自然学者の手続き」を区別している。
このように地動説と天動説との間での歴史的な理論選択の場面においては、恒星や惑星の位置に関する天文学的な観察データの数学的説明ということ以外に、自然学的問題すなわち今日的な言葉で言い換えれば理論物理学的な問題およびイデオロギー的な問題が関わりをもった。このことは科学的理論認識だけではなくイデオロギー的理論認識も経験との関わりを持っていることを示している。
理論的イデオロギーも、それが経験についての体系的意識であるという意味においては、科学理論と同じように経験的事実を理論的に「説明」することを課題としている。例えば、キリスト教が社会的に優勢になった中世においては、聖書の記述と自然認識との関係をどのように理解するかという問題との関連においても理論的考察が行なわれた。自然に関する経験的認識が進むとともに、両者が一見したところでは矛盾しているように思われる場合にどのように対処すべきかが重大な問題となった。また近代において言えば、太陽系がなぜ現在のような構造をとっているのかを理論的に説明することは、ニュートン力学などの科学理論にとっての課題であるだけではなく、「自然は神の被造物である」とするキリスト教的神学という理論的イデオロギーにとっての課題でもあった。
経験的なものと理論的なものの相対的分離という構造それ自体は、科学的認識活動に特有のものではなく、理論的認識活動一般に見られる特徴である。科学的理論も理論的イデオロギーも、経験的事実の理論的「説明」を課題としている、すなわち、経験的認識との関わりをもっているという点では共通している。それゆえに科学的なものとイデオロギー的なものとの歴史的共在が生じえたのであるし、両者の社会的分化が高度に進んだ現在でもなお少数とはいえ生じているのである。決して、相対主義者が主張するように、自然科学的理論認識も価値認識であるがゆえにこうした共在が生じるのではない。
科学的理論認識とイデオロギー的理論認識の違いは、経験的認識との関わり方の具体的形態にある。科学的なものとイデオロギー的なものの分化と区別は、経験的なものと理論的なものの相対的分化の後に、経験的なものと理論的なものの関係づけの中で生み出されてきたのである。
(2) 自然に関する「哲学」的理論認識と神学的理論認識の相対的分化
上で述べたように、経験的認識と理論的認識との区別の意識は古代末期には萌芽的な形とはいえすでに存在していた。そして中世後期になると両者の区別の意識はかなり明確になっていた。例えば一四世紀のニコール・オレムは『天体・地体論』において地球の自転運動の可能性を「経験」と「論拠」という二つのレベルに分けて論じている。しかしそうした区別が意識されていたにも関わらず、科学的理論認識とイデオロギー的理論認識との間の区別はまだ明確ではなかった。例えばオレムが「論拠」の問題として論じている中には、運動の相対性というどちらかと言えば自然科学的理論認識に属する問題から、聖書の中の記述をどのように解釈するのかという神学的理論認識に属する問題まで含まれていた。
ただしそうは言っても、中世ヨーロッパにおいてそうした違いがまったく意識されていなかったわけではない。同一の自然的対象に関する理論的認識として科学的なものとイデオロギー的なものとが個人の意識の中において共在しながらも、両者を区別することの必要性が次第に意識され始めていた。イデオロギー的なものの中でもまず最初に神学的なものが理論的認識の中で他とは異なるものとして分離させられた。というのも、信仰の立場からすれば信仰を守ることそれ自体が一次的な価値であり、自然界が経験的にどのようであるかということは信仰と直接的な関係を持つものではなかった。経験をどのように理論的に理解すべきかに関して神学的議論は一義的な解答を必ずしも与えるものではなかったのである。
例えば、アリストテレス的な自然哲学の立場からは「運動よりも静止が高貴なものに似つかわしい」とされているが、そのことは天体が地球よりも高貴なものであるとする古代や中世の神学的発想の立場からいえば地動説に有利な理論的根拠となるものである。また「神と自然は何も無駄なことをしない」という神学的考え方からは、多数の天体をすさまじい速さで一日に一回転させるよりも、地球という小さな一個の天体だけをより遅い速さで一日に一回転させる方を神が選んだはずだと推論される。まさにニコール・オレムが『天体・地体論』で示しているように、キリスト教擁護の立場に立つ理論的イデオロギーによっても地動説の優越性を認めることは可能なのである。神学的考察からは、地球が静止しているとする立場だけではなく、地球が運動している立場をも理論的に根拠づけることが可能なのである。
もっともニコール・オレム自身は、地動説の根拠を自然哲学的にさまざまな観点から論じて理性の上からは地動説がもっともらしいことを示しながらも、最終的には信仰の立場から天動説を信じるべきであると論じている。しかしそのことは逆に信仰と理性の対立を示す歴史的事例となっている。一三世紀の二重真理説や、「自然理性は信仰に従わなければならない」とするトマス・アクィナスの主張などが逆説的に示しているように、神学が明らかにする「信仰の真理」と、哲学が明らかにする「理性の真理」が必ずしも一致しないことは中世末期には明確に意識されるようになってきた。このようにして理論的認識の中で、合理的なものとそれ以外のものの分化、すなわち、理性を基礎とする「哲学」的理論認識と信仰擁護を目的とする神学的理論イデオロギーとの分化が起こったのである。
こうした分化を支えたイデオロギー的考え方は「神は聖書と自然という二つの書物を書いた」というものであった。これは近代の自然哲学者たちの多くに見られる見解である。例えばガリレオは、自然とは神が幾何学の言葉で書いた書物であるから自然哲学者が自然に関する理論的認識を深めるためには聖書ではなく自然そのものを「読む」ことが必要であるとし、「自然学上の問題を議論するにあたって、聖書の文章の権威から出発するのではなく、感覚でとらえられる実験と必然的な証明から出発すべきである」
[15]と主張している。ガリレオはこれによって、自然哲学と神学的理論イデオロギーとの断絶を宣言し、神学者と自然哲学者の間に境界線を引いたのである。
[16]
しかし歴史的にはガリレオのこうした宣言によって自然に関する理論的考察の中から神に関わる考察が完全に排除されたわけではない。聖書の記述が自然に関する知識を直接的に与えているとするのは誤りだとしても、自然が神の被造物であることを認める限り、自然に関する知識から神を論じること、あるいはその逆に、神に関して人間が持っている知識から自然を論じることが可能なはずだからである。
例えばニュートンは自然界の出来事をすべて機械論的に説明しようとするデカルト派を批判しながら、「自然哲学の主要な任務は仮説を捏造することなしに現象から議論を進めることであり、結果から原因を演繹し、ついには真の第一原因それが機械的でないことは確かであるに到達することなのである」
[17]と述べている。この文章の前半はニュートンの経験主義を示すものであるが、それに引き続いて述べられている「機械的ではない真の第一原因」とはまさに神に関わる事柄であった。「原因に至るために、結果を研究せよ」というこうしたイデオロギーは、確かに一面では自然に関する経験的研究を推進する機能も持ってはいたが、自然哲学と自然の神学との分離という歴史的流れには逆行するものであった。
また自然が自然法則によって支配されていることを認め、かつ、経験によって自然法則が認識可能なことを認めながらも、神に関する何らかの想定を基礎として自然学的知識を導き出し根拠づけようとすることは、「神的な原理にふさわしい世界の構造がどうなっているかということを導き出」して経験的世界を説明する方法が最も優れているとしたライプニッツの議論
[18]などに見られる。ライプニッツは、「物質が多ければ多いほど、神がその知恵と力を働かす機会が多い」ということを一つの理由として真空の存在を否定したり、神の完全性を理由として非弾性衝突においても運動の量が保存されると主張したりしている。
けれども結局の所、神に関わる考察は、ライプニッツ=クラーク論争がそうであったように、自然に関する理論的認識に関して対立する見解のどちらが正しいのかを明確に決着づけるようなものではなかった。自然とは神が製作した機械であるとする機械論的哲学が普及していく中で、自然に対する神の関与の内で人間が知りうるのは神が自然にみごとな秩序を与えたということだけであり、自然に対する神の関与は人間の理解を越えたものであるから、自然の秩序の内容は神に関する議論から直接的には導出できないと次第に多くの知識人が考えるようになっていった。すなわち、自然の秩序の内容に関しては神に関する理論的考察ではなく自然に関する経験的認識によって獲得すべきだとかんがえれるようになっていった。
[19]
(3) 自然哲学的議論と理論科学的議論の相対的分化
自然哲学と自然神学(あるいは自然の神学)との明確な分離は、自然に関する経験的認識の拡大とともに、地質学や進化論などの領域においても一八世紀や一九世紀には問題となってきた。科学性に関する現代的な観念の成立のための残されたステップは、自然に関する理論的認識の中で自然に関する哲学的考察と理論科学的考察との区別である。
自然に関する哲学的考察と理論科学的考察を分離すべきだという考え方が強まってきた理由の一つは、近代における産業や技術の発展とともに自然に関する経験的知識が増大するとともに、経験的に決着が付けられる理論的問題も増大し、理論的認識の内で経験的認識との関わりを直接的に持つ部分とそうでない部分が相対的に分離してきたことにある。
例えば、望遠鏡が天体観測に利用されるようになった一七世紀以降、それまでは自然学のレベルで理論的にしか論じれなかった天動説と地動説の真偽問題を経験的にも論じることが可能になった。例えばガリレオは一七世紀前半に金星が月と同じように満ち欠けをすることを発見し、周転円的天動説が誤っていることを「自然学」的にではなく「天文学」的に、すなわち、経験的現象の説明というレベルで示すことができた。そして一八世紀前半には地球の公転を示す光行差現象も発見された。
しかもこのように自然認識において経験的に真偽が論じられる理論的問題が増大するにつれて、経験法則相互の理論的連関が明らかになり、現代的な意味での理論科学的議論が相対的に自立してくることになった。例えば一八世紀後半にダランベールが「百科全書序論」の中で「光の屈折についてのただ一つの経験が虹の数学的説明、色彩の理論、および屈折光学」を生み出したことなどを挙げながら、数学的自然学の意義を論じているのがその先駆的な例であろう。またダランベールが、「自ら光り輝く学問に対して、ただ単に無知なる闇を投げかける、うすぼんやりとした形而上学的実体」を嫌悪し、「運動の原因からはいわば目をそらし、その原因によって生ずる運動のみに着目する」べきであるとし、活力論争が「力学に関しては全く無益である」
[20]としたことなどは、自然に関する哲学的考察と理論科学的考察との分離を求める意識の現れであった。また「運動の第一原因とのしての神」というイデオロギーとの関連で言えば、ダランベールのこうした考え方は自然の神学と理論科学的考察との断絶に関する新たな表現でもあった。
そしてまた理論的認識の基礎となる経験が、アマチュアと専門家との明確な区別のない博物学的観察という言わば日常的経験の段階から、理論科学的考察に導かれた実験や観察という言わば科学的経験の段階に移行するにつれて、ますますそうした分離は社会的に明確になってきた。
例えばヘーゲルが一九世紀前半に書いた『エンチュクロペディー』の中でも自然科学的認識と哲学的認識とを区別すべきであると論じられている。ヘーゲルは自然学と自然哲学がともに自然に関する理論的な考察であるとしながらも、前者を思惟による考察、後者を概念による考察として区別している。すなわち、「哲学は自然の経験と一致しなければならないだけではなく、哲学的な学の発生と形成は経験的な自然学をその前提とし、条件とする」としながらも「一つの学問の発生過程と予備作業は、その学問自体とは別である」
[21]と考えている。それゆえヘーゲルは、温度計や気圧計を「哲学的道具」と呼ぶなどその当時なお哲学という名称を古い用例のままで使用しているイギリスの状況に対して批判的で
あった。[22]
自然哲学と自然科学との分離傾向は、物理学を端緒として始まり、一九世紀には化学など他の分野においてもかなり進行し、知識領域として分化するとともに、それぞれの担い手の関心もはっきりと分化した
[23]。理論的活動と実験的活動との「分業」が進んだ物理学においては特にこのことが顕著であり、マックスウェル電磁気学の理論的帰結C=1/√εμから「光速度の不変性」原理を導いたアインシュタインや力学的波動方程式から量子力学的波動方程式を導出したシュレディンガーに典型的に示されているような、物理科学における理論的文脈の成立
[24]において決定的なものとなり、自然哲学的考察はまったくの後景に退くこととなった。そのことは、経験的データが理論的に説明できれば良いとして、量子力学における波動関数の実在性の問題は物理学の問題ではないとする量子物理学者たちの道具主義の中に典型的に見られる。
[25]
こうした過程が進行する中で、科学的なものとそうでないものとの分離が社会的に意識されるようになり、現代的な意味での科学性の基準が成立しはじめてきた。相対主義者は過去の歴史的状況の一面だけを見ているに過ぎない。科学的なものとイデオロギー的なもの相対的分離は歴史的傾向なのであり、そこに両者を分離することの歴史的意味もあるのである。
[26]
科学的なものとイデオロギー的なものの歴史的共在に関わる問題は前節で詳しく議論した。本節では、相対主義的な科学理解に関してさらにまだ残されている批判を論じる。特に、相対性を通しての絶対性への歴史的接近という観点から科学的認識の歴史的発展をどのように理解すべきなのかという問題に焦点を当てて論じることにしたい。
第一節の(1)や(3)で論じたように、ある特定の時点で知られている経験的事実が相対的に限定されていることもあり、ある特定の時点で社会的に正しいとされている科学理論も後にはその限界や誤りが明らかになることがある。科学の過去の歴史は一面では誤謬の暴露の歴史である。しかしそれにも関わらず、それまで正しいと考えられてきた旧理論が新理論の登場によって「本当は全面的に誤っていた」ということになるわけでは必ずしもない。旧理論が一定範囲内においては妥当しているということは事実として変化しない。例えばニュートン力学は、相対性理論や量子力学によってその限界や誤りが明らかにされた後も、物体の運動速度が光速度に比べて相対的に遅い領域で、かつ、マクロな領域においては数多くの経験的事実を説明していることに変わりはなく、その限りにおいては今なお妥当性を持っている。
これまでの理論物理学の発展において一般的には、新理論は旧理論を数学的近似として導出可能である。すなわち新理論の観点から見れば、旧理論は一定領域内でのみ成立する近似的な法則となっている。例えばガリレオの落下法則s=1/2・gt2 は、F=GmM/r2というニュートンの万有引力の法則においてrが地球半径Rにほぼ等しい領域における自由落下に関して近似的に成り立つ法則である。さらにまたニュートン力学自身も、特殊相対性理論においてv/cがゼロと見なせる領域で近似的に成り立つ法則である。そしてまたニュートン力学の運動方程式は、エーレンフェストの定理によれば、量子力学において観測される物理量が統計的期待値と等しいと見なせる領域で近似的に成り立つ法則である。このように旧理論は新理論の中に近似的法則として取り込まれている。
ただここで注意しなければならないのは、数学的表現においてもそうであるように、「近似である」ということは「真理に近いが真理ではない」という意味だということである。「円周率πが3.14である」というのは近似的には正しいが、厳密には正しくない。それゆえ半径一〇〇メートルの円の面積を平方メートル単位で求めることが必要な場合には、円周率の値としてより真の値に近い3.14159というような値を用いなければならない。それと同じように真理が一つである限り、「核分裂過程や核融合過程において質量とエネルギーの相互転化が生じる」とか「速度によって物体の質量が変化する」とする特殊相対性理論が真であるとすれば、「どのような過程でも質量保存則が成立する」とか「速度によって物体の質量が変化することはない」とするニュートン力学は真ではない。ちょうど、「地球が動く」とする地動説が真であるとすれば、「地球が不動である」とする天動説が真ではないのと同じである。
というのも、v/cがゼロに近い領域において特殊相対性理論とニュートン力学は理論的に同一内容のものとなるわけではないし、経験的レベルでも近い値であるにしてもやはり異なる予測を与えるからである。特殊相対性理論が正しいとすれば、物体の運動速度が光速度に比べてどんなに小さかったとしてもやはり物体の質量はそれの静止時の質量よりもほんのわずかにしろ大きいはずである。たとえ現在の測定装置ではその違いが検出できないほど小さいものであるにせよ、運動している時と静止している時とでは物体の質量が本当は違っているはずなのである。このことは、地球の運動による恒星の年周視差があまりにも小さすぎたために近代以前の観測装置では検出できなかったにも関わらず、やはり本当は存在していたのと同じである。恒星や惑星の運動に関する限り肉眼で見える領域ではその違いがまったく確認できない天動説と地動説の場合がそうであるように、理論的に対立している両理論の差異がたとえある特定の時点で経験的レベルで検出できなくとも、理論的認識内容としてはどちらかが本当は真なのであり、どちらかが本当は偽なのである。
異なる領域ごとに複数の真理があるわけでは必ずしもない。v/cがゼロと見なせる領域ではニュートン力学が真理であり、v/cがゼロと見なせない領域では特殊相対性理論が真理であるというわけではない。またマクロな領域では古典力学が真理であり、ミクロな領域では量子力学が真理であるというわけではない。現時点で知られている経験的事実に基づいて判断する限り、特殊相対性理論はv/cがゼロと見なせる領域であろうとそうでない領域であろうと成り立つ普遍的真理であり、量子力学はマクロな領域でもミクロな領域でも成り立つ普遍的真理であると考えられる。
ただしここで特殊相対性理論と量子力学とでは異なるという反論もありえよう。例えば、ニュートン力学と特殊相対性理論の間には運動形態上の階層の区別がないので上述のように言えるかもしれないにせよ、古典力学と量子力学の場合にはそれらの間に階層の区別があるので異なると主張することができる。
しかし古典力学も量子力学も実際には同一のものを対象としている。実際、マクロなものもミクロなものから構成されている。それゆえ、どちらが本当は真なのか(あるいはどちらがより真理に近いのか)という問いが成立する。確かにマクロとミクロという違いは階層的な違いなのではあるが、そのことからそれら二つの階層を支配する
基本的な物理学的法則が異なっていることが直接に帰結するわけではない。超流動や超伝導というような
マクロな量子力学的現象は、マクロな物体も基本的には量子力学的方程式という同一の運動方程式にしたがって運動していることを示していると考えられる。
[27]
たとえ現在のところ他のマクロな物体において量子的効果が直接的に観測できないにせよ、そのこと自体も量子力学的に説明できる。現在の量子力学が正しいとすれば、すべてのマクロな現象が量子力学的に説明できるべきなのである。実際、そのことは期待値のレベルで量子力学的方程式がニュートン力学的方程式に帰着するというエーレンフェストの定理の中に暗に示されている。ニュートン力学が量子力学の統計的近似の一つとして数学的に位置づけられるということはそういうことを意味しているのである。
それゆえ、理論科学的認識が経験的データの説明や予測に実際的に有効であるということ、理論科学的認識が対象の何らかの側面を捉えていること、理論科学的認識が理論科学的認識として真であるということの三つを区別しなければならない。経験的事実に関する予測能力・説明能力は、理論が少なくとも対象の何らかの側面を捉えていることを示しているという意味で真理性の標識となるものではあっても直接的に真理性の規定であるわけではない。
例えば「ニュートン力学は特殊相対性理論や量子力学との関係で見れば完全でも絶対的でもないが、実際に数多くの経験的事実をうまく説明・予測できることに実践的に示されているように客観の何らかの側面を捉えているのであるから客観的真理である」と主張するのは適切とは言えない。ニュートン力学は「客観の何らかの側面を捉えている」ものでありその中には「客観的真理」が含まれていることは確かだとしても(そうであるからこそ特殊相対性理論でも量子力学でも、運動量の時間微分が力に等しいというニュートン力学の運動方程式を出発点として用いることができたのであるが)、ニュートンの運動方程式に関わる物理的意味を含んだ理論的体系としてのニュートン力学がその理論的認識内容において真であるとは言えない。ニュートン力学の誤謬はその無制限な妥当性の主張という点にのみあるわけではない。
このことは天動説を考えればはっきりとするであろう。日食や月食の時刻の予測などに示されているように、恒星や惑星などの運動に関する観測結果は天動説によってもうまく説明や予測ができる。その意味では天動説も「客観の何らかの側面を捉えている」理論である。しかしだからといって、「天動説が客観的真理である」と言うことは不適切である。「天動説は恒星や惑星の運動についてある程度は正確な予測を与える」とは言えるが、「天動説は恒星や惑星の運動についてある程度は真である」と言うのはあまり適切ではない。もっとも科学理論のプラグマティズム的理解によれば、このような表現上の区別には意味がなく、天動説は役立つ道具である(あるいは少なくとも歴史的にはそうであった)限りにおいてプラグマティックには「真」である(あるいは「真」であった)。確かに天動説は、プトレマイオスの天動説にしろティコ・ブラーエの天動説にしろ、実在世界の一側面を捉えたものであるからこそ道具としての有用性を持ち得たのであり、その意味で天動説の理論体系の中にも部分的には真理の反映があると言える。しかしながらそれにも関わらず実在論的立場に立つ限り、天動説はその理論的内容においては偽であると言うべきなのである。
ガリレオに反対したベラルミーノ枢機卿が天動説擁護の立場から主張したこととはいえ、「太陽が中心にあって地球が天空にあると仮定すれば現象を救うことができると証明すること」と、「実際に太陽は中心にあって地球は天空にあるのだと証明すること」とは確かに同じことではない。
[28]数学的な記述に示されている経験的内容と、数学的記述の自然科学的意味としての理論的内容とは区別しなければならない。v/cをゼロと見なすと特殊相対性理論からニュートン力学の数学的内容が導出されるのと同じように、恒星や惑星の運動を地球から観測される形において数学的に記述した場合には、コペルニクス的な地動説の理論体系からティコ・ブラーエ的な天動説の数学的内容が導出される。それゆえどちらの説を取ろうと、天体現象に関して同一の経験的予測を与える。しかしだからといって、地球から見える天体現象に関してティコ・ブラーエ的な天動説が近似的法則となっていると主張するのは、それの理論的内容から言えば適切ではないであろう。
科学者も人間であるという当然のことから考えても、科学者の意識の中で価値的なものやイデオロギー的なものが現代においても機能しているということそれ自体は疑い得ない。また第一節の(3)で論じたように科学者がある特定の時点で利用可能な経験的事実が相対的に限定されていることからいっても、さらに第一節の(4)で論じた観察や実験の理論依存性からいっても、現場の科学者たちが理論科学的研究を実際に遂行する過程において、「正しいとされている事実」による保証のない理論的仮説、あるいは「正しいとされている事実」と矛盾していると思われる理論的仮説をあえて採用して研究を進めざるを得ない場合があると考えられる。またどのような研究アプローチを取るかや、可能性のある諸理論の内のどれに従って科学的研究を進めるかということは、必ずしも経験データだけによっては決められないであろう。それゆえそうした場合には、ある特定の時点で学界の中で主流を占めている科学理論の中にも科学者たちの主観的な判断の反映が見出されるであろう。
しかし問題はそうしたことから理論科学的認識とイデオロギー的理論認識との区別がまったく曖昧になるかどうかである。第二節で論じたように、自然認識を担う理論家の意識の中で両者が最初は密接に絡み合い区別し難い形で共在していたにせよ、現代では理論的認識の分化とともに明確に区別されている。理論科学的認識とイデオロギー的認識がともに理論的認識として相互作用を持つこと、そしてその結果として理論科学的認識がイデオロギー的意味を現代でも持つことは当然のことであるが、それにも関わらず、理論科学的認識内容とそのイデオロギー的解釈とは区別されているし、また区別されるべきだと考えられている。
ここで考えなければならないのは、第二節で論じたようなイデオロギー的なものとの社会的区別において与えられる科学的なものの核心を表現するものとしての科学性、すなわち、理論科学的認識過程に関する規定としての科学性は、社会的=歴史的な規定だということである。理論科学的認識とイデオロギー的理論認識とは、真理と誤謬の抽象的対立においてではなく理論的認識過程の存在形態において区別されるべきものである。理論科学的認識は、普遍的真理の獲得を目的としており経験との一致によって評価される。これに対してイデオロギー的理論認識は、経験の「説明」を一つの課題としながらも経験との一致によって評価されるわけではない。自然に関する経験ではなく信仰や啓示が最も基本的なものとされる神学的理論認識がそうであるように、イデオロギー的理論認識にとって基本的に重要なのは理念や意味であって経験との一致や経験による保証ではない。確かに認識の真偽を問題とする活動であるかどうかで理論科学的認識活動とイデオロギー的理論認識活動は区別される。しかし理論科学的認識が真なる認識であり、イデオロギー的理論認識が偽なる認識であるということで両者が区別されるわけではない。
理論科学的認識過程が真理追求の過程であることは、理論科学的認識過程に登場するすべてのものが科学的真理であることを意味するわけではない。また個々の科学者が正しいと考えて主張したことすべてが科学的真理であるわけでもない。しかも天動説の場合だけでなく、潮汐現象が地動説の証拠であるとするガリレオの主張や、ケプラーが観測結果に基づいて惑星軌道が楕円であると発表した後になってもまだ円慣性の理論的立場から惑星の軌道が完全なる円であるとしたガリレオの主張、光の屈折現象を説明するために空気中での光速よりも水中での光速が大きいとするニュートンの光の粒子説の主張などの歴史的事例にも示されているように、一定期間多くの人々に支持されていた主張であっても後知恵的には誤っているということもありうる。しかしながらある主張が後知恵的には誤りであったとしても、そのことによってその主張を非科学的であると評価するのは不適切であろう。もちろん誤っていることが明白になった時点以後においてその主張を新たな根拠なしに再び繰り返すことは非科学的であるとは言えるであろうが、ガリレオやニュートンらの主張に関してそれらが主張された時点においてすでに非科学的なものであったとするのは間違いである。真であることと科学的であることが異なる規定であるように、誤っていることと非科学的であることは異なる規定である。
同じようにプトレマイオスの天動説やティコ・ブラーエの天動説が現代的観点から見て誤りであるからといって、非科学的な主張であったとすることも間違いである。しかもプトレマイオスやティコ・ブラーエはその時点で知られている多くの観測事実と一致するような天動説を探求した結果として自らの天動説を主張したのであり、その意味で現代的な科学性の観念から見ても決して非科学的な態度を取っていたわけではない。
古代においても地動説は提唱されたが、真とはされなかった。これは天動説の方が、年周視差が確認できないという経験的事実や地球上の雲の運動などの経験的事実に関する当時の理論的理解とよく一致していたからである。そしてまた星の運動それ自体に関してはプトレマイオスが述べているように、地動説と同じく多くの事実を説明できていた。それゆえ天動説は地動説よりも説明可能な経験的事実の領域が大きいと、当時の自然哲学者たちは考えていたのである。その限りにおいて、天動説が正しいと判断されたのもその時点において無理はなかった。
この天動説の例は、経験との一致という現在と同じ真理性の規定を用いながら、真理性に関して現代とは異なった具体的判断が下される場合があることを示している。しかしこうした真理判断の相対性と真理の相対性とは連関があるにしても区別すべき事柄である。「ある特定の時代・社会において正しいとされている経験的証拠に基づきある理論的認識を真理と判断すること」と「その理論的認識が本当に真理であること」は、直接的には同一ではないし、また必ずしも一致しない。
さて認識と対象との一致としての真理という哲学的規定も、確かにその一致の具体的内容は実験と産業というような社会的なものを通して与えられる。また真理であるかどうかの判断は社会的なものである。しかしその一致という関係自体は社会的なものではない。それゆえ真理性の規定を後知恵でもって過去の歴史に適用したとしても無意味ではないのである。
これに対して合理性や科学性の規定は、第二節で論じたような理論的認識の歴史的分化の過程の結果として社会的に形成されたものと考えることができる。ある理論的認識を合理的なものと評価するかどうかに関する合理性の規定や、ある理論的認識が科学的なものに属するのかどうかに関する科学性の規定は、歴史的・社会的関係の中でのみ意味を持つ規定なのである。それゆえ科学性の規定が明確な社会的意識となっている以前の理論的認識に関して科学的かどうかということを論じるのは、現代的視点からは教育などの場面において何らかの意味があるにしても、歴史研究の観点からは無意味なことである。例えばオレムの議論は、本来的な意味で科学的なものとは言えないが合理的であるとは言える。ただしここでオレムの議論が合理的であると評価できるのは、真なる理論である地動説の正当化をオレムが主張しているからというわけではない。科学性の規定が真理性の規定とは異なると同じように、合理性の規定も真理性の規定とは異なる。オレムが地動説の可能性を信仰とは区別して理性の立場から論じているという意味で合理的なのである。すなわち合理性の規定は、第二節で論じた「哲学」的理論認識と神学的理論認識との分化に根拠を持っている。これに対して科学性の規定は、第二節で論じた自然哲学的理論認識と理論科学的認識との分化に根拠を持っているのである。
第一節の(4)において論じた、観察や実験の理論依存性のために科学理論の経験的テストが論理的「循環」に陥るという相対主義的主張に関して最後に簡単に論じておくことにしたい。
[29]
確かに第一節の(4)の実験を考える限りにおいては、どのような理論的法則を前提したとしても、論理的循環のために法則の経験的テストは常に成功するように見える。それゆえその実験そのものは、磁場が電流に及ぼす力に関する法則について何らの経験的情報ももたらさないように見える。しかし実際にそう考えるのは誤りである。
というのもまず第一に、検証実験が経験的に常に成功するということは、磁場が電流に力を実際に及ぼしていること、および、磁場が電流に及ぼす力に関して何らかの普遍的法則が存在することを経験的に示しているのである。もしそうした法則が存在せず、磁場が電流にどのような力を及ぼすかがまったく偶然的に変化するとしたら、そもそも検証実験が経験的には成立しないであろう。
また第二に、磁場が電流に及ぼす力に関する法則がどのようなものであっても構わないわけではない。この例においてフレミングの右手の法則が示す関係が成立していないとすれば論理的循環が成立しない。また法則の形をF=B・COSI・Lのような関係式であるとすれば経験的に成立しないことが示されるであろう。
このように理論依存性に起因する「循環」にも関わらず、観察や実験はそれとして経験的意味を持っている。経験的なものと理論的なものとの相対的分離は、理論依存性が示すように観察・実験と理論という単純な分類と直接的に一致しているわけではないが、それでもやはり存在する。観察・実験はその中に経験的なものと理論的なものの両方を含んでいると考えるべきなのである。
このことは科学理論に関しても当てはまる。科学理論は経験の一般化であり、経験によってテストされ一定の確証を持つものであるという限りにおいて経験的なものでもある。シュレディンガーのように古典的波動方程式を一つの出発点として量子力学的波動方程式を導出することに意味があるのも、古典的波動方程式が波動に関するそれ以前の多くの経験の一般化として一面では経験的なものだからである。すなわち、歴史的過程としては先行する理論的なものが経験的なものの一部を構成しており、新たな理論的なものはそうした経験的なものを前提として形成されるのである。
なお言うまでもないことではあるが、第二節で論じた理論依存性に基づく「循環」は議論のために単純化した例である。実際の問題としてこんなに単純な形で「循環」が存在するわけではない。一般に科学理論は一つが独立して存在するわけではなく、複数の理論が相互に複雑に関連している。数多くの種類の観察・実験と、数多くの諸理論とが複雑に絡み合って一つの理論的領域を構成しているのである。
例えば、F=BILという法則の実験的テストにおいて第一節の(4)の実験のような循環を避けることは簡単である。それには、「単位時間に流れる電気量」としての電流という定義に基づいて電流の値を測定する装置を利用すればよい。もちろんそのI=dQ/dtという定義に基づく測定自身も何らかの理論的依存性を持つことは言うまでもないが、ここで論じたようにその理論依存性もまたその中に経験的なものを含むものである。それゆえ理論依存性は、「循環」を論理的に帰結するものではなく、経験的テストの意味を全体として無意味にするわけではない。