価値論的には科学の擁護者であるが、認識論的には相対主義者であるクーン
パラダイムという用語を理解する際にまず第一に押さえておかなければならないのは、クーン自身は、科学という知的活動と他の知的活動との根本的差異を指し示すものとしてパラダイムという用語を用いているということである。しかもその際に注意すべきことは、クーンが認識論的相対主義者であるということは価値論的にも相対主義者であることを論理的には意味しないということである。この点は一般に誤解されることが多い。価値論的相対主義の根拠として認識論的相対主義が用いられることが一般に多く見られる議論である(価値論的相対主義を認識論的相対主義によって遂行することは、価値論的正当化を認識論的正当化によって遂行しようとすることに他ならない)が、クーン自身は科学という知的活動が他の知的活動よりも極めて優れていることを示すものとしてパラダイムという用語を用いている。クーン自ら認めているように、クーン自身は科学に特別の価値を認めていたのであり、価値論的には相対主義者ではない。
クーンは、科学的認識を真なる認識と直接的に結びつけたり、現時点で正しいとされている科学的認識内容を真理と直接的に同一視することには反対しているという意味において確かに認識論的な相対主義者である。しかしながらその一方で、「健全な知識の創造者、および、健全な知識の正当性の立証者」(『科学革命における本質的緊張』みすず書房,p.385)として科学者集団を位置づけていることにも示されているように、クーンは科学に他の知的活動とは異なる特別の価値を認めている限りにおいて価値論的相対主義者ではない。
科学的活動のあり方に関する科学社会学的規定としてのパラダイム ---- 認識論的規定ではなく、価値論的・社会学的規定としてのパラダイム
もともとパラダイムとは、人称や時制による語型変化を示す代表的な事例(範例)という意味で使われてきた言語学上の用語であったが、クーンが『科学革命の構造』(一九六二年)の中で科学活動の特性を記述するテクニカル・タームとして新たな意味で使って以後、流行語となった。
パラダイムという用語は、流行語としては「ある時代の人々のものの見方・考え方」「多くの人々に一般的な思考枠組み」というような一般的意味で用いられている。たとえば『広辞苑』第四版では、「一時代の支配的な物の見方」と定義されている。
しかしながらクーン自身は、科学という知的活動を他の知的活動と根本的に区別する基本的特徴を指示するものとしてパラダイムという用語を用いたのであり、パラダイムの定義は第一義的には科学者集団との関係で定義されるべきものである。クーンにとって科学者は科学者集団(scientific community)に属するメンバーとして定義されるものであるが、そうした科学者集団の維持=再生産機能を持つものがパラダイムである。
科学者集団との関係で規定されるパラダイム
クーンによれば、パラダイムは、ある一定の専門領域の科学者集団の中で共有されている普遍理論、背景的知識価値観、規範、テクニックなどの諸要素から構成される複合的全体であり、科学的活動の中心的構成要素として科学者集団の維持=再生産機能を持つものである。
クーンは、「ある個人が科学者になるのはどのような社会的プロセスを通じてなのか?」「現代において科学者になるために、多くの科学者たちがたどるキャリアパス(大学における学部教育→大学院修士課程・博士課程における専門的教育→)の中でどのようなことが起こっているのか?」ということを科学論的に分析しようとしたのである。そしてクーンは、ある個人が科学者集団のメンバーになるプロセスにおいて、その個人は当該の科学者集団における支配的パラダイムを我が物にする(内化する)と考えたのである。すなわちクーンは科学者集団における共有物たるパラダイムを身に着けることが科学者になることであると考えたのである。
クーンは、「パラダイムとは何か?」ということを解明することを通じて、「科学とは何か?」を明らかにしようとした。(『科学革命の構造』の第二版でクーンがパラダイムを「専門母体」と言い換えているのもそうした意図に沿ったものである。)こうしたクーンの立場からは、パラダイムは科学史家や科学論者が経験的に解明すべき対象となるため、結果として多義的にならざるを得なかったのである[パラダイムという用語の多義性に関しては、マスターマン「パラダイムの本質」(イムレ・ラカトシュ,アラン・マスグレーヴ編『批判と知識の成長』森博監訳,木鐸社,1985.4,pp.90-98)
において詳しく分析されている。またクーン自身も「(パラダイムという用語の使われ方に関する)このような違いの多くは文体上の不斉一・・・によるものと思う。これらはわりあい楽に取り除けるものである。しかし、そのような修正をほどこしても、この言葉[(パラダイムのこと---引用者注]の二つの非常に異なった使い方が残る」[クーン『科学革命の構造』中山茂訳、みすず書房、1971年,p.206]というように、パラダイムという用語の中には少なくとも二つの異なる意味があることを認めている、]。
科学の境界設定基準としてのパラダイム
その意味でパラダイムは科学という知的活動を他の知的活動と区別する境界設定基準でもある。ある知的活動が科学であるのか否かはその中にパラダイムが存在するかどうかによって決まる。例えば占星術という知的活動が非科学であるのは、その活動によって産出された知識それ自体に問題があるためではなく、その活動に携わる集団を支配するパラダイムが存在しないためである。
クーンは、占星術もテスト可能な予測(反証可能な予測)をなすという意味では論理実証主義や反証主義などの立場からは科学的ということになってしまう。これに対して、パラダイム論ではそうした馬鹿げたことが生じないと主張している。クーンは占星術という知的活動にはパラダイムが存在しないために科学的活動ではないとしたのである。(イムレ・ラカトシュ,アラン・マスグレーヴ編『批判と知識の成長』1970=森博監訳,木鐸社,1985,pp.21-22;『科学革命における本質的緊張』みすず書房,pp.352-353)
科学の歴史・・・<前科学>→<パラダイムの歴史的成立=科学の歴史的成立(通常科学の開始)>→<変則事例の増大や有力な対抗パラダイムの登場などによる危機の深刻化>→<科学革命によるパラダイム交代>→<新しい通常科学の登場>
科学はパラダイムの歴史的成立とともに始まる。いったんパラダイムが確立するや、科学者集団は自らがよって立つパラダイムという土台の正当性を問題にすることを止め、パラダイムという土台の上に累積的に知を積み重ねていく「通常科学」の時代となる。変則事例の増大などによって既存パラダイムの「危機」が深刻になると、「科学革命」による支配的パラダイムの交代が起こり、新たな「通常科学」の時代が始まる。
クーンは普通の大部分の科学者は既存パラダイムの批判的検討や新しいパラダイムの提唱などは行なってはいない、ということに着目したのである。ニュートン力学、相対性理論、量子力学などはそれらの生成期には多くの科学者が関わるが、いったんそうした普遍的理論が確立した後(すなわちパラダイムの確立後)は、そうした普遍理論を前提として(普遍理論の正しさを疑うことなく)「実際の現象をどう説明するのか?」、「未知の新しい現象をどう予測するのか?どう作り出すのか?」といった「パズル解き」的活動に従事するということを強調した。
非累積的発展=革命を通しての発展
知の累積的発展は同一パラダイム上では可能であるが(この点で科学という知的活動と他の知的活動は異なる)、異なるパラダイムは互いに共約不可能であるために複数のパラダイムを通じた科学の累積的発展はない、とクーンは主張している。ただしクーン自身は、科学革命によるパラダイム交代によって、非累積的ではあるが、確かに科学は歴史的に進歩している、と考えている。
言語学上の用語としてのパラダイム
言語学においては、例えばLatin Verb Conjugation
Paradigms(ラテン語動詞の活用変化のパラダイム)というような形で用いられる。 なおクーンはパラダイムという用語を用いるにあたって、こうした言語学上の用法を意識していたと思われる。そのことは、クーンがクーン『科学革命の構造』第二版で追加された「補章
--- 1969年」の中で、パラダイムという用語の言い換えとして用いたdisciplinary matrixの4番目の要素が見本例(exemplars)である[クーン『科学革命の構造』中山茂訳、みすず書房、1971年,p.212]ことに示されている。