佐野正博(1984)「理論比較と共約不可能性」
『科学基礎論研究』Vol.16 No.4, pp.25-32

 近年,科学史と科学哲学の交流,融合が進行し,科学哲学(科学方法論)の正当性を評価する基準としての科学史の役割が強調されるようになってきている(1)。例えば,Lakatosは「科学史なき科学哲学は空虚であり,科学哲学なき科学史は盲目である。……競合する二つの科学方法論は,科学の歴史によって評価することができる。」と述べている(2)。こうして科学哲学の一つの新しい方向として,科学の実際の歴史的形成過程とうまく適合した科学哲学が求められるようになり,理論変化や理論比較の問題が科学哲学の一つの焦点となりつつある。
 科学哲学のこうした新しい方向を代表する一つの潮流として,Hanson,Kuhn,Feyerabendらの「革命主義」の立場がある。革命主義においては,科学の実際の歴史という「事実」(3)に基づいて,科学の累積的進歩が否定され,科学理論の歴史的変化の過程が不連続であるとされる。科学の実際の歴史的場面では,科学理論の選択が論理や実験的テストといった客観的規準によって規定されてはいないと主張されている。革命主義のこうした主張の根底には,科学理論間の共約不可能性という考え方がある。本稿ではこの共約不可能性の問題を取り上げ,その内容や意義を明確にすると共に批判的検討を試みる。
 共約不可能性は,文字通りには,複数の競合理論が理論比較のための共通の規準を持たず,「共通の土俵の上で比較検討できない」という意味である。まずは,共約不可能性に関するKuhnやFeyerabendの考え方を見ていくことにしよう。Kuhnは『科学革命の構造』の中で自らの共約不可能性の考え方を三つに類型化している(4)。第一は,科学の規準や定義についての共約不可能性である。異なるパラダイムの科学性の規準はそれぞれ異なるので,パラダイム間の論争は論理的に十分噛み合わないものとなる。また科学性の規準の変化に伴い研究活動としての科学の不連続性が生じることになる。第二は,観察語や理論語の意味が変わることによる共約不可能性である。例えば,コペルニクス革命によって「地球」や「運動」という語の意味が変化したとされる。同一の単語が使用されていても意味が異なるので,対立するパラダイムは共約できないのである。第三は,パラダイム変化によって科学者の活動する「世界」が変化するという意味での共約不可能性であり,Kuhnはこれが「最も基本的な共約不可能性」であると述べている。パラダイム変化と共に知覚や観察言明が変化するので,パラダイムは互いに共約不可能となる。
 次に共約不可能性に関するFeyerabendの見解を見てみよう。Feyerabendの見解は徐々に変化しているため,ここでは簡単にその変化を追っておく。Feyera-bendほ,最初はKuhnと同様の見解を持っていたと自ら述べると共に(5),「その一致は何ら神秘的なことではない。私は,Kuhnの本(『科学革命の構造』)の草稿を前もって読んでいたし,その内容についてKuhnと議論していたのであった。」(6)と証言している。しかし後には,Kuhnの分類による第二の共約不可能性に限定した主張を行ない,「私の共約不可能性の考え方は,演繹的な連関がないこと(deductive disjointness)以外の何物でもない」とし,共約不可能な理論間には通常の論理的関係(包含,排除,重なり合い)が成立しないということに議論を限定している(7)。すなわち,理論変化にともなって理論語や観察語の意味が変化するので,旧理論と新理論を論理的関係に押し込めることができず,共約不可能性が生じるとされる。このように,Feyerabendは理論変化にともなって知覚も必らず変化するというHanson,Kuhnの見解を否定するとともに(8),理論評価の基準の不一致による共約不可能性という考え方も否定している。そして,Feyerabendは 共約不可能な理論を互いに比較することが可能であると主張し,これをKuhnとの重大な違いの一つに挙げている(9)
 このように,KuhnとFeyerabendの間には若干の見解の差違がある。しかしこのことは,Feyerabendが共約不可能性成立の条件を狭く限定した結果であり,Kuhnの共約不可能性についての第一および第三の考え方を誤りだとしている訳ではない(10)。単に共約不可能性成立のための必要条件ではないと考えているだけである。それゆえ,ここではKuhnの見解に従って,共約不可能性の概念を体系的に再構成することにしよう。実際Kordigは,Kuhnの見解に対応して革命主義の基本原理を「観察上の根本的変化(radical observa−tionalvariance)」,「根本的な意味変化(radical mean−ing variance)」,「統制的規準の根本的変化(radicalvariance of regulative stndards)」の三つに分類した(11)。またNewton−Smithは,共約不可能性の根源を「価値変化」,「規準の根本的変化」,「板木的な意味変化」の三種順に分けている(12)。本稿では,これらの分類を整理・統合し,「意味変化」という論理的問題と,「理論比較の規準の不一致(歴史的変化)」という事実的問題の二つの視点から共約不可能性を規定して論じることにする。
 「意味変化」の問題とは,前述したように,理論変化にともなって理論語も観察語もその意味を変えることによる共約不可能性成立の問題である。用語の意味が文脈によって規定されているならば,また観察言明が理論負荷的であれは,理論変化によって用語の意味は変化することになる。(13)例えば,「質量」という語は,古典論と相対性理論では意味が異なる。(14)理論変化にともなう意味変化によって,旧理論と新理論の間には同一の構成要素が何も存在しないとされる。二つの理論におけるどの言明も共通の意味を持たず,互いに矛盾するともしないとも言えなくなる。(15)したがってFeyerabendが主張するように,共約不可能な理論の間には通常の論理的関係が成立しない。比較すべき共通の対象が意味変化によって存在しなくなるので,共通の土俵の上で理論の優劣を比較検討できなくなり,両理論は共約不可能となる。これが,意味変化を原因とする共約不可能性であり,KuhnもFeyerabendも共に認めている共約不可能性と言える。
 次に理論比較の規準の不一致を原因とする共約不可能性を考察しよう。理論比較の規準は,理論変化の過程において必らずしも不変ではない。帰納主義や反証主義が理論評価の規準としている観察事実(実験事実)も理論変化と共に変化する。革命主義によれば,観察事実は理論負荷的であるから,異なる理論間に共通な事実が存在しないことになり,理論の優劣を観察事実によって評価することはできないとされるのである。また,単純性や整合性などの理論評価の規準は,時代と共に変化する。このように,どちらの理論が優れているかを評価する規準が理論変化と共に変化し,競合理論間で共通でないならば,理論比較は客観的には行ないえない。このため,「政治革命におけると同様に,パラダイム選択においても関係者の集団的合意よりも高い規準はない」(16)。すなわち,どの規準を理論比較のための規準とするべきかを決める規準は存在しないのであり,どの規準を採用するかは価値判断の問題となる(17)。理論評価の規準としてどれを用いるかに関する対立によって,やはり共通の土俵の上で比較検討できないことになり,共約不可能性が生じる。(Feyerabendは共約不可能な理論を相互に比較検討することができると主張しているのであるから,こうした共約不可能性の考え方を一見否定しているように見える。しかし実際にほそうではない。比較可能性と共約不可能性の関係に関しては,後で詳細に論じ,Feyerabendの主張が結局はKuhnと同様な見解になることを示す。)
 このように共約不可能性は,意味変化と理論比較の基準の不一致という二つの視点から規定しうるのである。共約不可能性の概念は,前述のように帰納主義や反証主義への批判として意味を持つと共に,言明間の論理的関係のみによって理論変化の過程を理解しようとする立場を批判したものとしての意味を認めることができよう。また,異なる理論間の論理的関係が存在しないと主張することによって,科学理論を形成する過程の動的構造を明らかにしようとし,科学者共同体や科学的伝統といった形で,科学活動の社会的規定の認識論的意味を明確にしたと言える。共約不可能性の概念は,このような意味を持っている。しかしながら,こうした主張にまったく問題がない訳ではない。以下に比較可能性,競合関係の成立,理論負荷性とパラダイムの自己正当化など,共約不可能性にまつわる問題点を論じることにしよう。

    2

 共約不可能性の主張に対する最初の主要な批判は,共約不可能性が理論の比較不可能性を帰結するというものであった(18)。実際,Kuhnはパラダイム変換を「ゲ シュタルト変換」や「改宗の問題」として論じているし,Feyerabendは「共約不可能な理論は,観察可能なものにしろそうでないにせよ比較可能な結果をまったく持っていない」(19)と述べているのであるから,そのように理解されたのも当然だと言えよう。しかしながらFeyerabendは自ら,Kuhnの立場がパラダイムの比較不可能性を主張するものであると批判し,これに対して「私は共約不可能性から比較不可能性を推論したことはなかった(20)」と述べている。そして「失敗しているのは,理論比較の過程ではなく,その過程を説明している単純な理論の方なのである」とし,共約不可能性が比較不可能性を導くのではなく,共約不可能な理論同士を比較することは可能だ,と説く(21)。
 しかしFeyerabendによる比較可能性の議論は,決して理論の内容同士の比較ではないことに注意しなければならない。観察語・理論語の意味変化や,観察事実の理論負荷性によって,理論の内容を相互に比較することは論理的に不可能になる。したがって観察事実によって理論の優劣を比較することは問題外とされている。このように,Feyerabendによって論じられているのは,理論の単なる形式的比較に他ならない。だが,観察事実や理論の内容に関係しない形式的比較は,結局のところ主観的な比較である。実際,Feyerabendは「科学は,それが持つ厳密な規準すべてを含めて,我々自身の創造物にすぎない。……理論の選択は,趣味の問題ではないか。」(22)とか,内容によらない比較手段の「ほとんどが恣意的なものであり,……主観的なものである」(23)としている。というのは,内容によらない比較手段が単純性・整合性など複数存在し,それらによる比較の結果が相互に矛盾することもあり,どの比較手段に最終的に依拠するべきかは,結局のところ恣意的で主観的な価値判断の問題となるからである(24)。ところがこうした主観的比較に関しては,Feyerabendの批判にもかかわらず,Kuhnもそれが可能であると主張している。例えば,Kuhnは「パラダイムの長所の相対的比較」や「翻訳によって可能な,より広範な比較」を認めている(25)。さらにまたKuhnは,理論評価の諸規準を完全に並べ立てることによって,科学の進歩を語ることができるとしている。
 このように共約不可能性の概念は,一般的な批判と異なり,必らずしも理論の比較不可能性を意味しているのではない。用語の意味変化のために,理論を内容によって比較することはできないということを主張しているにすぎない。理論評価や選択は,科学者共同体が持っている諸規準に従って行なわれる。理論のこの意味での比較可能性は,共約不可能性と矛盾してはいない。理論を互いに比較することが可能であるにもかかわらず,いやそれゆえにこそ,理論比較の規準の共約不可能性が成立するのである。理論を比較する規準が複数存在するために,科学者共同体によって採用される規準の組み合せや規準間の優先順位が時代や社会によって変化し,比較規準の不一致を原因とする共約不可能性が生じることになるからである。
 したがって理論比較の一般的な可能性の証明によっては,共約不可能性の主張を批判したことにはならない。次に理論内容による比較を不可能にしている根拠とされる意味変化に関わる批判を考察することにしよう。

    3

 共約不可能な理論間の対立や競合を理解し得るためには,あるいは,理論間の共約不可能性を証明することができるためには,共約不可能な理論を共に理解できていなければならない。共約不可能であると主張されている諸理論の内容を共に理解できていない場合には,共約が不可能であるとは証明できず,単にこれまでのところ共約できていないということしか言えない。これは,多くの日本人がラテン語を理解できないからといって,日本語とラテン語の翻訳不可能性を証明したことにはならないのと同様である。現実に共約できていないということは,決して共約の不可能性を示すものではない。さて,共約不可能な二つの理論を共に理解できることは,KuhnもFeyerabendも認めている。このことは,共約不可能な理論間の翻訳やコミュニケーションの問題として論じられている(26)。Kuhnは翻訳の可能性だけではなくその重要性も指摘している。「専門家集団の中にすでに受け入れられている人たちの間では,翻訳によって可能な,より広範な比較にたよることなしには,説得される人ははとんどいないであろう」(27)。またFeyerabendは,「人々は互いに共約不可能ないくつかの枠組の中を動くことを学び得る」と述べて,コミュニケーションの可能性を認めている(28)。このように二つの共約不可能な理論を両方ともに理解する人間がいることは,どのようにして可能となるのであろうか。何らかの意味で共通なものが,すなわち共約可能なものが存在していなけれは,共約不可能と主張されている理論を共に理解することや翻訳することはできないのではないか(29)。理論の内容を理解するとは,「丸い四角形」という表現の場合のように単なる音列として理解することではないからである。
 次に共約不可能な理論間の鹿合関係の成立に関わる批判を論じることにしよう(30)。理論間の競合関係は,理論間の両立不可能性を前提としている。両立不可能であって初めて,二つの理論は相互排他的に対立し競合し得るのである。しかし前述したように,理論変化にともなう用語の意味変化を認めるならば,共約不可能な理論間のどのような言明も互いに矛盾するともしないとも言えないとされている。共約不可能な理論の間には,包含・排除・重なり合いなどの通常の論理的関係が成立せず,言明の両立可能性も両立不可能性もどちらも主張できない。では共約不可能な理論間の競合関係(対立関係)はどのようにして成立していると言えるのであろうか。
 これに対してFeyerabendは,理論間の同型性の欠如など意味の共通性に依存しない比較手段によって両立不可能性が示せるとしている(31)。しかし同型性の欠如など理論内容に関係しない形式的な比較手段は,異なる理論間の競合関係を成立させる十分条件ではない。例えば,量子力学と社会学は同型的構造を持ってはいないが,競合関係にはない。異なる理論が同一の事柄を扱っているのでなけれは,競合関係にあるとは言えないのである(32)。しかし共約不可能な理論が同一の事柄に関わっていることを示そうとする試みは,共約不可能性の主張に対する自己破壊的な行為である。異なる理論が同一の事柄に関係していることが示せるならば,何らかの意味で共約可能だと言えるからである。
 このような困難は,Feyerabend自身も気がついていた。Feyerabendは,「共約不可能な理論が同一の事柄について語っていると言おうとする時に生じる困難を避けるために,議論を非暫定的理論に限定した」(33)である。非暫定的理論(non-instantial theory),すなわち,世界全体を包括的に取り扱う普遍理論(例えば,量子力学や相対性理論など)間にのみ共約不可能性が成立するとしている。Feyerabendは,世界の同一性によって共約不可能な理論が同一の事柄について語っていることを示せると考えているようである。しかし相対性理論が世界全体を対象にしているといっても,世界の一側面について語っているにすぎない。古典力学と相対性理論が世界の同じ側面を対象としているかどうかは,共約不可能性を前提した場合軋論理的には証明できない。したがって,Feyerabndが共約不可能性の具体例として挙げている相対性理論と古典力学,量子論と古典力学,インベトウス理論とニュートン力学などそれぞれの場合について実際には主題の同一性が問題となる。例えば,相対性理論と量子論は,異なる理論でありかつ普遍理論であるが,両理論が共約可能であるとか不可能であるとか論じることにはあまり意味がない。これは,これらの理論の主題が同一ではないからである。したがって,普遍理論であるというだけでは,共約不可能な理論間の主題の同一性は保証されず,上述の困難を回避したことにはならない(34)。さらにまた,共約不可能な理論間の対象の同一性の証明は一層困難である。対象に関する記述も理論負荷的であるし,用語の意味は理論と共に変化するのであるから,共約不可能な理論を共約する第三の理論の存在を認めないかぎり,対象の同一性を論じることもできないのである。
 共約不可能な理論間の競合関係の成立をめぐって,共約不可能性の考え方は一つの論理的困難に直面している。しかし共約不可能性に対するこのような批判は抽象的批判にすぎない。次に共約不可能性と観察事実(実験事実)の関係の間葛を取り上げて,共約不可能性の内容に即した批判を試みることにしよう。

    4

 しばしば,観察事実(実験事実)が理論負荷的ならば,観察事実がその前捷である理論を支持するのは自明であり,観察事実が理論を否定することはあり得ないと論じられている。実際,Kuhnは「パラダイムの選択が問題になり出すやいなや,パラダイムの役割は必らず循環的なものとなる」(35)と述べているし,Feyerabendは「各理論はそれ自身の経験を持っており,経験の間の重なり合いはないであろう。明らかに決定実験は今や不可能なのである」(36)と主張Lている。したがって,KuhnもFeyerabendも上述のように考えているとされてきた。またHansonは,ティコ・プラーエが「動いている太陽」を見るのに対して,ケプラーやガリレイは「動かない太陽」を見ると主張している。(37)
 観察事実の理論負荷性がこのようなものだとすれば,観察事実によって競合する諸理論のどれが正しいのか決着をつけることはできない。しかしこのような議論は間違っていると思われる。天動説に従おうと地動説に従おうと,日常的な経験の場面では,太陽が動 いており地球(地面)が静止しているように見える。「動く」という言葉が地球上の観察者に対しての位置変化を意味している日常的経験の場合には,天動説も地動説もどちらも同じ説明を与える(38)。逆にこのような同一性があるからこそ,天動説と地動説は同じ事柄に関する対立理論と考えられるのである(39)。天動説と地動説の対立は,日常的な経験上の運動ではなく,他の惑星や恒星に対する運動に関係している。したがって両説の正当性の比較規準となる事実は,太陽の視覚経験における動きに関するものではなく,惑星の見かけの大きさの変化,金星の満ち欠け,年周視差などの事実であった。実際皮肉なことにコペルニクスの時代においては,年周視差を見い出せないことが地動説批判の一つの根拠とされた。このように天動説と地動説は,観察事実によって比較することが可能であり,共約可能なのである(40)
 この例に見られるように,観察事実の理論負荷性を認めたとしても,反証の過程すなわち科学理論と観察事実の矛盾は生じうるのである(41)。すべての競合理論が観察事実によって比較不可能である訳ではない。もっともこのことはKuhnもFeyerabendも認めている。Kuhnは,共約不可能性の成立をパラダイム間に限定し,通常科学の時期には科学が累積的に発展するとしている。Feyerabendは,古典論や量子論といった普遍理論間の問題として共約不可能性を論じている。古典論や量子論などの特定のパラダイム(普遍理論)に従って科学活動が行なわれている時には,観察事実を構成する究極的な前提であるパラダイムの正当性は問われない。パラダイムから派生する様々な理論と観察事実との関係が問題とされるだけである。この場合には,派生した理論から独立な観察事実が存在している。派生理論が,数学において公理から定理が導かれるような形で,前捷としてのパラダイムから純粋に演繹的に構成されるのでない限り,そう言わざるを得ない。派生理論,例えば光の粒子説と波動説,熱物質説と熱運動説などは,古典論というパラダイムから演繹的に構成されたのではなく,パラダイムから相対的に独立である。実際それゆえに,同一の主題(光,熱)に関して複数の派生理論が成立しうるのである。同一の主題に関して一つのパラダイムから派生した様々な理論はパラダイムによって相互の対立のあり方が規定されている。派生理論同士の対立関係が共通のパラダイムによって構成されているのであるから,観察事実の理論負荷性にもかかわらず,いやそれゆえにこそ,パラダイムに依存した共通の観察事実によってどの理論が正しいかが判定される。例えば,古典力学のパラダイム内において,光の空気中での速さと水の中での速さのどちらが大きいかという観察事実が,光の粒子説と波動説の両理論の正当性を比較する基盤となった。通常科学の時期には,競合理論から独立で理論比較の規準となる観察事実が存在しているのである。
 さらにパラダイム(普遍理論)もまた,派生理論と同様に,観察事実と矛盾することがあり得る。パラダイムは,自らが形成するすべての観察事実と必らずしも適合的な訳ではない。Kuhnによれは,パラダイムの危機は変則事例(anomaly)によって引き起こされる。Feyerabendによれば,普遍理論も「それ自身の事実との間で困難を生じる」のであり,「共約不可能な理論はそれぞれそれ自身の種類の経験と照らし合わせることによって……反駁することができる」(42)。観察事実の理論負荷性を認めることは,観察事実とその前掟であるパラダイムとの矛盾を普遍的・絶対的に否定する訳ではない。異なるパラダイム間に共通な観察事実の存在が否定され,共通な観察事実が理論比較の規準となるのではないとされているだけである。
 しかし本当に共通な観察事実が存在しないのであろうか。実際にはパラダイムの間にも派生理論と似た状況が成立するのではなかろうか。主題の同一性の議論に示されているように,パラダイムは相互に完全に断絶している訳ではない。古典力学と特殊相対性理論は共に,運動量を時間で微分したものが力に等しいこと,運動量保存則やエネルギー保存則の成立など多くの共通点を持っている。歴史的にもEinsteinは,特殊相対性理論を導くための二つの要請のうちの一つとして「光は真空中ではつねに一定の速さで伝播する」ことを挙げている(43)。この要請における光速度の3×108m/sという値は,古典力学と特殊相対性理論で変化するものではない。というのは光速度の不変性は電磁気学からの帰結だからである(44)。また光速度は同一の実験装置で測定できる。理論的概念の変化に応じて古典論と異なる実験装置,特殊相対論的な実験装置がつくられる訳ではない。古典論的立場からなされたマイケルソン・モーリーの実験が,特殊相対性理論の確証となりえたのもこのためである。(物体の熱膨張による補正をものさしに加えなければならないように,相対論的な補正を考えなければならないかもしれないが,相対論的な補正とは,そのこと自体が共約不可能性の主張と矛盾している。)古典力学から特殊相対性理論へという 理論変化とは無関係に,同一の実験装置の測定結果が二つの理論に対して共に意味を持っていることは,前述の派生理論間の状況と同様なことが普遍理論間にも成立することを示している。(45)
 ともあれ,観察事実が理論負荷的であるとしても,派生理論もパラダイム(普遍理論)も観察事実と矛盾しうるのである。観察事実が常にパラダイムを正当化する訳ではない。(前述したようにkuhnもFeyerabendも,理論負荷性が観察事実と理論の循環を意味しないことを認めている。)したがって観察事実は理論比較の一つの規準になるとは少なくとも言える。異なる理論間に共通な観察事実が存在しないことを認めたとしてもそうなのである。ただし理論と同様に観察事実も誤りうるものであるから,事実と理論の矛盾は理論の決定的反証を常に構成している訳ではない。
 本稿では理論比較の場面に即して共約不可能性の問題を論じてきた。しかし本稿での批判は論理的次元での批判にすぎない。共約不可能性は,科学の実際の歴史における現象的事実としても主張されている。したがって具体的に科学の歴史的形成過程を取り上げて,その中での理論競合のあり方や理論変化の過程を分析しながら,共約不可能性の主張を批判的に検討することが今後の課題として残されている。これはまた科学理論の連続性・不連続性という問題でもある。すなわち,ある理論がどのようにして科学的な対抗理論として成立し社会的に認知されたのかという問題である。このことは稿を更めて論じることにしたい。

    注

(1) 伊東俊太郎「科学史と科学哲学の融合」, 『科学哲学』第5号(1972) , D.Shapere,"What can thetheory of knowledge learn from the history ofknowledge?" The Monist 60 (1977)
(2) I. Lakatos, Philosophical Papers, Vol. 1, Cambridge U.P., 1978, p.102
(3) 科学の「実際の歴史」も理論負荷的である.したがって科学哲学の評価規準として科学の実際の歴史を用いる前に,何を科学に属するものと見なすのかという科学の歴史的形成過程の理論を明確にしておく必要がある. A.F.Chalmers, What is this thing called Science?, Queensland U.P.,1976, pp.140-142 (高田紀代志・佐野正博訳『科学論の展開』恒星社厚生閣, 1983. pp.236-239)
(4) T.Kuhn, The Structure of Scientific Revolutions, Chicago U.P., 1970,2nd. ed., pp.149-150(以下, SSRと略記) 中山茂訳r科学革命の構造』みすず書房,1971, pp.167-170
(5) P. Feyerabend, Science in a Free Society, NLB,1978, (以下SFSと略記) p.67,n.114 この部分は,独語版からの翻訳である『自由人のための知』 (村上陽一郎,公子訳薪曜社, 1982)
(6) P. Feyerabend,"Consolation for the Specialist" in Criticism and the Growth of Knowledge,Cambridge U.P., 1970, p.219
(7) P.Feyerabend, SFS, pp.67-68.これに対して Against Method,NLB, 1975, (以下AMと略記) pp.271-275(村上陽一郎・渡辺博訳『方法への挑戦』新曜社,1981,pp.363-366)
(8) P. Feyerabend,"Reply to Criticism" in Boston Studies in the Philosophy of Science (以下BSPS略記) , Vol,II, 1965, p.247. AM, p.269の本文とn.126 (邦訳p.360, p.394)
(9) P. Feyerabend, SFS, p.68
(10) Ibid. pp.69-70
(11) C.R. Kordig,The Justification of Scientific Change, D. Reidel, 1971, p.vii, p.1
(12) W.H. Newton-Swith, The Rationality of Science, RKP, 1981, pp.149-150
(13) T. Kuhn,"Reflection on my Critics" in Criticism and the Growth of Knowledge, pp.266-267, P.Feyerabend,"How to be a good empiricist" in The Philosophy of Science (ed, by P.H. Nidditch) Oxford U.P., 1968, p.33,"Explanation,Reduction, and Empiricism" in Minnesota Studies in the Philosophy of Science, Vol. III, 1962,p.29, p.59
(14) T.Kuhn,SSR,pp.101-102(邦訳 pp.115-116) , P.Feyerabend, AM, p.282 (邦訳pp.374-375)
(15) P. Feyerabend,"Reply to Criticism", p.231
(16) T.Kuhn, SSR, p.94 (邦訳p.106)
(17) Ibid. p.110, pp.199-200 (邦訳 p.124 pp.228-229) 。また、P. Feyerabend, AM, pp.204-205, p.216(邦訳 pp.276-277, p.297)
(18) 例えば, D.Shapere,"Meaning and Scientific Change" in Mind and Cosmos (ed. by R. Colodny) Pittsburg U.P., 1966, pp.65-68, C.R.Kordig, op.cit., pp.87-88, I. Lakatos, op. cit., pp.90-91, H. Siegel,"Objectivity, Rationality, In comensurability and More" Brit, J. Phil, Sa, 33(1982) p.389などがある。
(19) P. Feyerabend,"Explanation, Reduction, and Empiricism", p.94.
(20) P. Feyerabend, SFS, pp.67-68
(21) P.Feverabend,"More Clothes from the Emperor's Bargain Basement," Brit. J. Phil. SCi.32 (1981) p.64.このことは L.Laudanも認めている."Two Dogmas of Methodology" Philosophy of Science, 43 (1976)
(22) P. Feyerabend,"Consoloations for the Specialist" p.2
(23) P. Feyerabend, SFS, p.68
(24) Feyerabend,"Introduction : Scientific Realism and Philosoohical Realism" in Philosophtcal Papers, Vol.1, Cambridge U.P., 1981, p.16, n.13. T. Kuhn,"Objectivity, Value Judgment, and Theory Choice" in Essential Tension, Chicago U.P., 1977, p.322
(25) T.Kuhn, SSR, p.109, p.203 (邦訳 p.124, p.233)
(26) 「翻訳」の問題と共約不可能性,科学的合理性との関係については,小林傳司「ウィンチと科学的合理性」 『科学基礎論研究』 No.61 (1983) 参照.
(27) T.Kuhn, op. cit., p.203 (邦訳 p.233)
(28) Feyerabend, AM, p.273, n. 130 (邦訳p.396) .ただし AM, p.270 (邦訳p.392)
(29) I. Scheffler, Scince and Subjectivity, Bobbs-Merril, 1967, p.82, A. Fine"How to Compare Theories" Nous, 9 (1975) p.28
(30) 理論間の競合関係や両立不可能性は,共約不可能性の否定につながると一般的に考えられている.P. Achinstein"On the Meaning of Scientific Terms",Journal of Philosophy, 61 (1964) p.499,A.Fine,"Consistency, Derivability and Scientific Change", Journal of Philosophy,64 (1967)
(31) P. Feyerabend,"On the `Meaning'of Scientific Terms",Journal of Philosophy, 62(1965) , pp.272-273,"Reply to Criticism",pp.232-233
(32) CR. Kordig, op. cit., p.56, S.A. Kleiner"Ontological and Terminological Commitment and the Methoddogical Commensurability of Theories",BSPS,Vol.VIII,1971,pp.507-508
(33) P. Feyerabend, SFS, p.68 n.18
(34) ただし,共約不可能性を認めつつ主題の同一性すなわち理論の連続性を,言語系の階層構造という視点から積極的に論じたものとして,村上陽一郎『科学のダイナミックス』第II部,サイエンス社,1980がある.
(35) T.Kuhn, SSR, p.94 (邦訳p.106)
(36) P. Feyerabend,"Problems of Empiricism" in Beyond the Edge of Certainty (ed by R. Colodny) , Prentice Hall, 1965, p.214.また AM, pp.282-283 (邦訳pp.374-375)
(37) N.R. Hanson, Patterns of Discovery, Cambridge U.P,1958,p.19 (村上陽一郎訳『科学理論はいかにして生まれるか』講談社, 1971, p.35)
(38) 古代の天動説の完成者プトレマイオスも『アルマゲスト』 (薮内清訳,恒星社厚生閣1982,p.13) でこのことを指摘している.またガリレイは地動説擁護のためにこのことを, 『天文対話』 (青木靖三訳,岩波文庫,1961,下巻, p.192)
(39) Hansonは, 「ティコとケブラーは同一の物理的対象を見ている」 (op. cit.,p.7,邦訳p.18) として,このことが言えるとしている.そうだとすれば,天動説と地動説は,物理理論として少なくとも部分的には共約可能であるとしなければならない.
(40) Feyerabendは AM, p.114,p.158(邦訳 p.148,p.209) でこのことを認めている.
(41) K. Popper, The Logic of Scientific Discovery, 1st. 1959, 2nd. Harper Torchbook ed. 1968, p.107,大内義一・森博訳『科学的発見の論理』恒星社厚生閣,1971,上 pp.134-138.
(42) P.Feyerabend, AM, p.284 (邦訳 p.337) .また"Reply to Criticism" p.227, p.233参照.
(43) A. Einstein, Ann. d. Phys., 17 (1905) pp. 891-892,『アインシュタイン選集』第1巻,共立出版1971,p.20.
(44) Einstein自身も特殊相対性理論を論じた2番目の論文でこのことを注記している Ann.d.Phys.18(1905) ,p.639 n.2(『アインシュタイン選集』第1巻 p.48)
(45) Feyerabendは,これを理論の道具主義的解釈としてAM,p.279 (邦訳p.371) で批判している.しかし,理論が実際に共約不可能ならば,異なる理論間に「同一の観察言語」が存在せず、理論を道具主義的に解釈すること自体ができないはずである。