WEB上のPC史関連のPDF資料
ビル・ゲイツにおけるソフトウェアの互換性重視戦略
「1975年から1981年(8ビットマイクロコンピュータの時代)にかけて, Microsoft社は,事実上すべてのコンピニータメーカー(Raclio Shack、Commodore、Appleをはじめとする何十もの会社社)のそれぞれのマシンに、Microsoft BASICの搭載を決心させるに至った。初めて、すべてのハードウェアメーカーが足並みをそろえて共通の言語を持ったのである。我々のBASICの成功は、互換性の利点を世に示した。」
「我々はさらにMS-DOSの拡張を続け、MS-DOSが業界標準の地位に保たれるための本質たる互換性を犠牲にすることなく、もっと強力なコンピュータもサポートしてきた」
このようにゲイツは、PC用ソフトウェア市場におけるソフトの互換性の重要性を認識するとともに、マイクロソフトの相対的競争優位の確保のために互換性確保を意識的に追求してきた。
そのためMS-DOSの開発に際しては、8ビットPC用OS市場で事実上の標準になっていたCP/M-80との互換性確保を重要目標とすることで競争優位の確保を目指したのである。
「8086は8080と互換性はなかったが、そのアーキテクチャは8080とよく似ており、8080のソースコードは機械的に変換すれば8086の上で動作するようになっていた。Tim Patersonの8086用のオペレーティングシステム、およびこのシステムの影響を受けたMS-OOSの最初のパージョンの設計方針は、8080用のコードが8086用のコードに変換できることに大きく影響を受けている。」Woodcock(1989,p.13)
「広範囲なアプリケーションや言語をユーザーが確実に使えるようにするには、8086用の標準的なオペレーティングシステムが絶対必要であると、Paterson(QDOSの仕事をしていた)もRod Brockも考えていた。CP/Mはすでに8ビットマシンの標準となっていたため、既存のCP/Mアプリケーションを機械的に変換して16ビットシステムで実行できるようにすることは、新しいオペレーティングシステムに向けての大きな目標の1つとなった。このような互換性を達成するために、彼が開発したシステムはFCBを採用し、実行可能ファイルへのアプローチの方法などの点でも、CP/M-80のファンクションとコマンドの仕様を模倣していた。」Woodcock(1989,pp.15-16)
「当然のことながら、MS-DOSはまずCP/M-80、次いでCP/M-86と比べられた。最大の関心事は互換性だった。Microsoftの新しいオペレーティングシステムは、いったいどの程度まで既存の標準と互換性があるのだろうか。」Woodcock(1989,p.30)
「最初にリリースしたMS-DOSver.l.Oは、Microsoftが思い描いていた16ビットコンビュータシステムのオペレーティングシステムの最終的な形とは違っていた。Bill Gatesによれば、「基本的に私たちがやりたかったことは、階層的ファイルシステムなど、どちらかといえばMS-DOSver.2に近いものだった。(ver.l.Oを開発する上で)鍵になったことは、『まず、サブセットでいこう。それから前進するのだ』という私の言葉だった」。/最初の版(GatesいうところのMS-DOSのサブセット)は、実際のところ、現在と未来の聞の良き妥協であった。それは、2つの点から語ることができる。まず、MicrosoftがIBMの開発計画に合わせることができたということ、そしてCP/Mとの間でプログラム変換による互換性を維持していたということである。」Woodcock(1989,p.23)
「既存の言語やWordStar、dBASEIIなどの人気のあるアプリケーションを使えるようにするために、MS-DOSは、ソフトウェア開発者が8080のソースコードを8086で実行できるかたちに機械的に変換できるように設計されていた。このために、MS-DOSはCP/M-80のように見えたし、そのように動作した。そのころCP/M-80は、まだマイクロコンビュータのオペレーティングシステムの標準だった。この8ビットの親戚と同様、MS-DOSは8文字のファイル名と3文字の拡張子を使用するほか、コマンドプロンプトの中でディスクドライブを識別する習慣を踏襲した。ほとんどの場合、MS-OOSはCP/Mと同じコマンド言語を使い、同様なファイルサービスを提供し、一般的な構造もCP/Mと同じになっていた。さらに、プログラミングレベルでの類似性には目を見張るものがあり、アプリケーションで使うことのできるシステムコールでは、CP/MとMS-DOSはほとんど1対1の対応を付けることができた。」Woodcock(1989,pp.23-24)
MS-DOSとCP-M/86のOS競争において最終的にMS-DOSが勝利した技術的要因の一つに、ディスクを管理するFATのデザインやシステム・コールの仕様などで、MS-DOSのほうがCP/M-80との互換性が高かったことに関しては、下川和男氏も次のように述べている。
しかし、商業誌のライターは最初はまだCP/Mの優位を信じ、CP/M-80によって支配されている世界の中で、新しいオペレーテイングシステムが生き残る可能性について疑問を持っていた。彼らの多くは、CP/M-86マシンがCP/M-80アプリケーションを実行することができるという間違った認識を持っていた。CP/M-86が使えるようになる前から、Future Computing誌はIBM PCを、CP/Mレコードプレーヤと呼んでいた。これは、新しいコンビュータがCP/Mアプリケーションの膨大な資産を受け継ぐことを期待して、PCは実際にはCP/Mマシンであると考える方向に読者を誘導しようとしたものだった。
しかし、Microsoftが確信していたのは、まったく別のことだった。IBMのマシンおよびその他の16ビットマイクロコンビュータの成功の鍵は、業界の標準となる16ビットオベレーティングシステムが出現するかどうかだということだった。」Woodcock(1989,pp.30-31)
Woodcock, Joanne(日笠健、長尾高弘監訳、1989)「MS-DOSの開発」『MS-DOSエンサイクロベディア Volume 1 システム解説編』アスキー
下川和男(1994)「ビル・ゲーツに囲まれて(前編) —- Windows HeartBeat #10」『月刊Windows World』(発行:IDG社)1994年5月号、http://www.est.co.jp/ks/billg/10_GATES.htm
NECとIntelの8086のマイクロプロセッサーの著作権をめぐる訴訟
Contreras,Jorge, Laura Handley and Terrence Yang (1990) “NEC v. INTEL : Breaking New Ground in the Law of Copyright,” Harvard Journal of Law & Technology, Volume 3, Spring Issue, 1990
http://jolt.law.harvard.edu/articles/pdf/v03/03HarvJLTech209.pdf
マイクロプロセッサーのマイクロコードの著作権をめぐるNECとIntelの裁判における1989年の判決 NEC Corp. & NEC Electronics, Inc. v. Intel Corp., No. C-84-20799, 1989 WL 67434に関する論文。
同論文によると、 それ以前の判決 NEC Corp. v. Intel Corp., 645 F. Supp. 590 (N.D. Cal. 1986)は、判決を下した地裁判事がインテルの株式を所有していたことが判明したため無効となった。[NEC Corp. v. U.S. Dist. for N. Dist. Cal., 835 F.2d 1546 (9th Cir. 1988)]
同論文によると、判決の主要内容は下記の3点である。
1) インテルのマイクロプロセッサーのROMの中に埋め込まれているマイクロコードは著作権保護の対象となること
2) マイクロコードに関するリバースエンジニアリングはマイクロコードの著作権を侵害するものではないこと
3) 類似のマイクロコードを「クリーンルーム」で独立に開発した場合には著作権侵害を犯していないことの説得的証拠となること
PCの歴史関連資料
1000Bit
http://www.1000bit.it/
1970年代後半期および1980年代おけるPC関連のデータベース、および、下記URLからパンフレット、広告、マニュアルなどの資料を見ることができる。
インテルの社史
インテルの社史をインテル社の下記Webサイトからダウンロードすることができる。
http://www.intel.com/about/companyinfo/museum/archives/anniversary.htm
インテルの15年史
A Revolution in Progress (1968-1983)
印刷用PDF
インテルの20年史
Intel: Architect of the Microcomputer Revolution (1968-1988)
印刷用PDF
インテルの20年史
Defining Intel: 25 Years/25 Events (1968-1993)
印刷用PDF
1970年代前半期のmicrocomputerの広告等における性能・機能の「誇張」表現問題
1970年代前半期にはmicrocomputerに関する広告やマニュアルでは、下記のようにmicrocomputer製品の機能・性能がminicomputerと匹敵するかのように論じられているが、これはmicrocomputerやPersonal computerが製品カテゴリーとして認知されてはいないために最も近い既存製品カテゴリーに位置づけたことや、製品拡販のために一定の「誇張」表現を必要としたことによるものである。
1)R2E(Réalisation d’Études Électroniques)のMIcral(1973)
Micralは「極めて低コストであることを主要な特徴とする、初めての新世代ミニコンピュータである」(Réalisation d’Études Électroniques(1974) Micral Users Manual, p.76)とか、「普通のミニコンピュータが目的としない」プロセス制御がMicralの主要用途である(ibid.,p.66)とされている。
Réalisation d’Études Électroniques(1974) Micral Users Manual
http://bitsavers.org/pdf/r2e/MICRAL_N_Users_Manual_Jan74.pdf
2) MITSのAltair8800(1975)
MITSのAltair8800に関して、Popular Electronicsの1975年1月号表紙におけるキャッチコピーは 「商用モデルと競う、世界最初のミニコンピューターキット」(World’s first minicomputer kit to rival commercial models – the Altair 8800)、「これまでになされた中で最も強力なミニコンピューター・プロジェクト」(The most powerful minicomputer project ever presented – can be built for under $400)というものであり、Altair8800をminicomputerとするような記述がなされている。
またRoberts, H. Edward and William Yates (1975) “Exclusive! Altair 8800: the Most Powerful Minicomputer Project Ever Presented-Can be Built for Under $400,” Popular Electronics, January 1975, p.34においては、「[Altair]8800で使用されているCPUのインテル8080というLSIチップは、・・・現在の商用ミニコンピューターとその性能を競うミニコンピュータを創る役に立っている」(The CPU used in the 8800 computer, the Intel 8080 LSI chip, is relatively expensive in quantities of one. It was selected, however, because it serves to create a minicomputer whose performance competes with current commercial minicomputers)と言うように主張されている。
なお同論文のp.33ではAltair8800で使用されているインテルのCPU8080の「基本命令語は78語であり、通常のミニコンピューターの40語よりも多い」( It has 78 basic machine instructions ( as compared with 40 in the usual minicomputer)).とも書かれてている。
Tandy Radio Shack社のTRS-80関連資料
Tandy Radio Shack社のTRS-80の1977-1992年のカタログを見ることができるWeb
Ira Goldklang’s TRS-80 Revived Site
http://www.trs-80.com/wordpress/catalogs-radio-shack/
http://www.radioshackcatalogs.com/html/index_computer.html
カタログ本体のダウンロードできないが、カタログの一覧は下記にもある。
http://www.retrocomputing.net/parts/r/radio/TRS80_4/docs/trs80-cr.htm
TRS-80 Microcomputer News
http://www.trs-80.org/trs-80-microcomputer-news/
http://www.trs-80.com/wordpress/magazine-microcomputer-newsletter/
8008に関する証言
[出典]Faggin, Federico(1984) “Interview : Federico Faggin,” Computerworld, July 30 1984,p.6
インテル社が開発したプロセッサの動作速度が適当でなかったことと、バイポーラ素子の価格が非常に安くなったことなどから、データポイント社はバイポーラでその制御装置を作ることに決定した。インテル社には、その開発の結果できた素子が残ったが、その明確な市場はなかった。非常に新しい会社であった当時のインテル社の主力製品はメモリである。そこで、少しでも多くのメモリが売れればよいという仮定のもとに、(しぶしぶ?)この8008を市場に出したが、この設計に関するあらゆる仕事を中止し、開発グループも他の仕事に移り、マイクロプロセッサもこれで終りになるはずであった。
これを作った会社も、その競争相手も、ともに驚いたことには、この新製品(マイクロプロセッサ)が急に売れ始めたのである。」
[出典]Zaks, R. (禿節史訳,1980)『マイクロプロセッサ』マイテック、p.42
Federico Faggin, Hal Feeney, Ed Gelbach, Ted Hoff, Stan Mazor, Hank Smith(2006) Oral History Panel on the Development and Promotion of the Intel 8008 Microprocessor
http://archive.computerhistory.org/resources/access/text/2012/07/102657982-05-01-acc.pdf
http://www.electronicsweekly.com/blogs/mannerisms/yarns/after-the-4004-the-8008-and-80-2008-08/
Paul Allen(2011) Idea Man: A Memoir by the Cofounder of Microsoft, Portfolio/Penguin
AllenにおけるBASICの重要性認識 — 最初のコンピュータ経験としてのBASIC
One thing seemed certain: The 8080 met the criteria for a BASIC-ready microprocessor. As soon as I read the news, I said to Bill, “This is the chip we talked about.” I regaled him with the 8080’s virtues, not leas its bargain price of $360. Bill agreed that the 8080 was capable and the price was right. ”
https://books.google.co.jp/books?id=3lFczEsFLRsC&lpg=PT11&ots=SlvZmbTuna&dq=%E2%80%9CThe%208080%20really%20created%20the%20microprocessor%20market%22&hl=ja&pg=PT11#v=onepage&q=%E2%80%9CThe%208080%20really%20created%20the%20microprocessor%20market%22&f=false
マイクロプロセッサー市場に関するFagginの予測
Fagginは、1984年のインタビューにおいて開発時におけるマイクロプロセッサーの販売予測量を聞かれて、「1972年時点では1980年に1000万個程度と考えていたが、実際には1億個に近かった。ただし購入したのは、伝統的なコンピュータ企業ではなかった。最初の[マイクロプロセッサーを実際に購入した]イノベーターは、エレクトロニクス関係企業というコンピュータ産業の外部者であった。」(Q. Did the way the microprocessor market evolved surprise you?/ Yes and no. There was no question that the microprocessor would create a revolution. If someone asked me in 1972 how many microprocessors would be sold in 1980, I would have guessed in the 10 million range. The number was closer to 100 million./ I also expected that traditional computer companies would turn to the microprocessor. Yet they resisted, and early innovators came from outside the industry — people who were turning to electronics for the first time./ The same phenomenon occurred with microcomputers.)と述べている。
[出典]Faggin, Federico(1984) “Interview : Federico Faggin,” Computerworld, July 30 1984,p.6
「最初のmicrocomputer あるいは、最初のPCは何か?」という問題
「最初のマイクロコンピュータ(microcomputer) あるいは、最初のPCは何か?」という問題に対しては様々な見解がある。というのもその問題は「マイクロコンピュータ(microcomputer)とは何であるのか?」とか、「PCとは何であるのか?」という定義も問題であり、論理的には様々な定義が可能だからである。
Fagginの見解
Faggin,F. (1984) “Interview : Federico Faggin,” Computerworld, July 30 1984,p.6の見解
- 最初にマイクロコンピュータをつくった企業はフランスの会社RPEである。その後、IMSAIやMITSといった他の会社が探し求めていた製品を導入した。それらの会社が、原始的なOSを備えた小さな、本来的なマイクロコンピュータを造り上げたのである。/[ただし]その市場は主としてホビイストのためのものであり、強力なソフトウェアはまだ存在していなかった。(The first company to produce a microcomputer was a French company, RPE. Then other companies like [lmsai. Inc.] and Mits introduced products that were solutions looking for a problem. They produced small, generic microcomputers with primitive operating systems./The market was primarily for hobbyists, and powerful software was nonexistent.)
Fagginが挙げているフランスの会社RPEは、R2E (Réalisation d’Études Électroniques)の間違いかと思われる。R2Eは、Intelの8008を用いたMicralを1973年に発売している。Micralはマイクロプロセッサーを用いた世界最初の商用コンピュータの一つとされている。
Intelが開発した二つの異なるMicro Computer System (MCS)
低コストを強調したの MCS-4(November 1971) , 汎用性(versatility)を強調したMCS-8(April 1972)
それらは二つの極めて異なる市場(two very different markets)をターゲットとしており、片方は低価格の制御装置(controller)市場を、もう一方は汎用パーソナル・コンピュータ(a versatile personal computer , PC)市場をターゲットとしている、というように、Mazor, Stanley (1995) “The History of the Microcomputer — Invention and Evolution” Proceedings of the IEEE, Vol. 83, No. 12 (DECEMBER 1995)は主張している。