WEB上のPC史関連のPDF資料

■通史的研究
 
 
 
■PC関連雑誌
 
 
 
 
microcomputer revolutionに関係する最初期の雑誌の一つ。1974年10月号が創刊号で、1985年12月まで出版された。
 
Radio Electronics
 
 
アメリカにおけるラジオおよびTVに関する多数の雑誌を収録しているサイト(”Five million pages of AM FM & TV Broadcasting history online”)であるが、ByteCreative Computing MagazineなどPC関連の雑誌も収録されている。
 
■マニュアルほか
vintchip.com “DOCUMENTS FROM THE COLLECTION”
 
1970年代後半期および1980年代おけるPC関連のデータベース、および、下記URLからパンフレット、広告、マニュアルなどの資料を見ることができる。
 

ビル・ゲイツにおけるソフトウェアの互換性重視戦略

CP/M-80との互換性を、CP-M/86よりも重視したMS-DOS
マイクロソフトのビル・ゲイツ(Bill Gates)は、『MS-DOSエンサイクロベディア Volume 1:システム解説編』(アスキー)[Woodcock(1989,pp.7-8)]の刊行に寄せた文章の中で、ソフトウェアの互換性に関して次のように述べている。

MS-DOSの作成に当たって最も重要な3つの要因は、互換性の進化、Microsoft BASICの開発とパーソナルコンビュータ業界からの広範な支持、そして、IBMによる16ビットのテクノロジーを取り込んだコンビュータの製造の決定であった。(IBM PCに対する)支持と人気にとって、MS-DOSは必要欠くべからざるものだった。」
「1975年から1981年(8ビットマイクロコンピュータの時代)にかけて, Microsoft社は,事実上すべてのコンピニータメーカー(Raclio Shack、Commodore、Appleをはじめとする何十もの会社社)のそれぞれのマシンに、Microsoft BASICの搭載を決心させるに至った。初めて、すべてのハードウェアメーカーが足並みをそろえて共通の言語を持ったのである。我々のBASICの成功は、互換性の利点を世に示した。
「我々はさらにMS-DOSの拡張を続け、MS-DOSが業界標準の地位に保たれるための本質たる互換性を犠牲にすることなく、もっと強力なコンピュータもサポートしてきた」

このようにゲイツは、PC用ソフトウェア市場におけるソフトの互換性の重要性を認識するとともに、マイクロソフトの相対的競争優位の確保のために互換性確保を意識的に追求してきた。

そのためMS-DOSの開発に際しては、8ビットPC用OS市場で事実上の標準になっていたCP/M-80との互換性確保を重要目標とすることで競争優位の確保を目指したのである。

MicrosoftがMS-OOSの最初のバージョンを開発する際の目標の1つは, CP/M-80からMS-OOSへのソフトウェアの移植互換性である。」Woodcock(1989,p.32)
「8086は8080と互換性はなかったが、そのアーキテクチャは8080とよく似ており、8080のソースコードは機械的に変換すれば8086の上で動作するようになっていた。Tim Patersonの8086用のオペレーティングシステム、およびこのシステムの影響を受けたMS-OOSの最初のパージョンの設計方針は、8080用のコードが8086用のコードに変換できることに大きく影響を受けている。」Woodcock(1989,p.13)
「広範囲なアプリケーションや言語をユーザーが確実に使えるようにするには、8086用の標準的なオペレーティングシステムが絶対必要であると、Paterson(QDOSの仕事をしていた)もRod Brockも考えていた。CP/Mはすでに8ビットマシンの標準となっていたため、既存のCP/Mアプリケーションを機械的に変換して16ビットシステムで実行できるようにすることは、新しいオペレーティングシステムに向けての大きな目標の1つとなった。このような互換性を達成するために、彼が開発したシステムはFCBを採用し、実行可能ファイルへのアプローチの方法などの点でも、CP/M-80のファンクションとコマンドの仕様を模倣していた。」Woodcock(1989,pp.15-16)
「当然のことながら、MS-DOSはまずCP/M-80、次いでCP/M-86と比べられた。最大の関心事は互換性だった。Microsoftの新しいオペレーティングシステムは、いったいどの程度まで既存の標準と互換性があるのだろうか。」Woodcock(1989,p.30)
「最初にリリースしたMS-DOSver.l.Oは、Microsoftが思い描いていた16ビットコンビュータシステムのオペレーティングシステムの最終的な形とは違っていた。Bill Gatesによれば、「基本的に私たちがやりたかったことは、階層的ファイルシステムなど、どちらかといえばMS-DOSver.2に近いものだった。(ver.l.Oを開発する上で)鍵になったことは、『まず、サブセットでいこう。それから前進するのだ』という私の言葉だった」。/最初の版(GatesいうところのMS-DOSのサブセット)は、実際のところ、現在と未来の聞の良き妥協であった。それは、2つの点から語ることができる。まず、MicrosoftがIBMの開発計画に合わせることができたということ、そしてCP/Mとの間でプログラム変換による互換性を維持していたということである。」Woodcock(1989,p.23)
既存の言語やWordStar、dBASEIIなどの人気のあるアプリケーションを使えるようにするために、MS-DOSは、ソフトウェア開発者が8080のソースコードを8086で実行できるかたちに機械的に変換できるように設計されていた。このために、MS-DOSはCP/M-80のように見えたし、そのように動作した。そのころCP/M-80は、まだマイクロコンビュータのオペレーティングシステムの標準だった。この8ビットの親戚と同様、MS-DOSは8文字のファイル名と3文字の拡張子を使用するほか、コマンドプロンプトの中でディスクドライブを識別する習慣を踏襲した。ほとんどの場合、MS-OOSはCP/Mと同じコマンド言語を使い、同様なファイルサービスを提供し、一般的な構造もCP/Mと同じになっていた。さらに、プログラミングレベルでの類似性には目を見張るものがあり、アプリケーションで使うことのできるシステムコールでは、CP/MとMS-DOSはほとんど1対1の対応を付けることができた。」Woodcock(1989,pp.23-24)

MS-DOSとCP-M/86のOS競争において最終的にMS-DOSが勝利した技術的要因の一つに、ディスクを管理するFATのデザインやシステム・コールの仕様などで、MS-DOSのほうがCP/M-80との互換性が高かったことに関しては、下川和男氏も次のように述べている。

「デジタルリサーチが、16ビット用ということで、CP/M-86に豊富な機能を盛り込んだのに対し、MS-DOSは、インテルの8086の設計思想と同様に、8ビットとの互換性を重視したのである。結果として素直に16ビットへの移行が行えるMS-DOSのアプリケーションが増加し、CP/M-86は消えていった。」下川和男(1994)

 

ゲイツにおけるミニコン用ソフトウェアの互換性欠如の問題点に関する認識
「互換性の進化は、Intel8080マイクロプロセッサの登場に始まる.この技術的な革新が、姿を見せ始めていたマイクロコンビュータ業界に空前の好機をもたらし、デスクトップにおけるコンビュータ利用のパワー、スピード、コストが持続的に改善されることが約束された。ミニコン市場における各ハードウェア製造業社は、それぞれ独自の命令セットとオペレーティングシステムを持っていた。したがって、特定のマシン用に開発されたソフトウェアは、他社のマシンとは互換性がなかった。この特殊化はまた、驚くべき努力の重複をも意味していた。メーカー各社はそれぞれの機種ごとに、言語コンパイラ、データベース、その他の開発用ツールを書かなくてはならなかったのである。8080マイクロプロセツサベースのマイクロコンビュータの登場によって、異なったメーカーが同ーの命令セットを持った同ーのチップを購入すると思われたので、状況は一変するものと期待された。」Woodcock(1989, p.7)

MS-DOS vs CP-M/86
IBM PCが発売された当時は、マイクロソフトのMS-DOSがIBM PC用の標準的OSとなるとは考えられてはいなかった。実際、「InfoWorld誌の1981年のベストセラーリストの10本のプログラムのうち9本までがCP/M-80、またはCP/M-86で動作するものだった。CP/M-86が使えるようになったのは6か月後だが、商業誌などでほとんどのライターや評論家が選ぶオペレーティングシステムになっていた。」Woodcock(1989,p.30)のである。「MS-DOSがCP/Mに追い付くばかりか、追い越してしまうだろうということを予見した者は1人もいなかった。Bill Gatesでさえこう回顧している。「MS-DOSを使っているマシンの数は、最も楽観的な予測の数字でさえ、実際よりも少なかった」。まず第一に、IBM PCというマシンの成功が多くの産業評論家を驚かせた。発売後1年の聞に、IBMは月当たり30、000台のPCを売った。その大部分は、すでにIBMの名前と評価に親しみを感じているビジネスコミュニティ向けであったが、後から振り返ってみる限りでは、時代がパーソナルコンビュータに向かっていたことも事実である。もちろんMS-DOSは、このIBM PCの成功によって大きな利益を得ている。それは、IBMがすべての言語とアプリケーションをMS-DOSのフォーマットで提供したためである。
しかし、商業誌のライターは最初はまだCP/Mの優位を信じ、CP/M-80によって支配されている世界の中で、新しいオペレーテイングシステムが生き残る可能性について疑問を持っていた。彼らの多くは、CP/M-86マシンがCP/M-80アプリケーションを実行することができるという間違った認識を持っていた。CP/M-86が使えるようになる前から、Future Computing誌はIBM PCを、CP/Mレコードプレーヤと呼んでいた。これは、新しいコンビュータがCP/Mアプリケーションの膨大な資産を受け継ぐことを期待して、PCは実際にはCP/Mマシンであると考える方向に読者を誘導しようとしたものだった。
しかし、Microsoftが確信していたのは、まったく別のことだった。IBMのマシンおよびその他の16ビットマイクロコンビュータの成功の鍵は、業界の標準となる16ビットオベレーティングシステムが出現するかどうかだということだった。」Woodcock(1989,pp.30-31)

[参考文献]
Woodcock, Joanne(日笠健、長尾高弘監訳、1989)「MS-DOSの開発」『MS-DOSエンサイクロベディア Volume 1 システム解説編』アスキー
下川和男(1994)「ビル・ゲーツに囲まれて(前編) —- Windows HeartBeat #10」『月刊Windows World』(発行:IDG社)1994年5月号、http://www.est.co.jp/ks/billg/10_GATES.htm

NECとIntelの8086のマイクロプロセッサーの著作権をめぐる訴訟

Contreras,Jorge, Laura Handley and Terrence Yang (1990) “NEC v. INTEL : Breaking New Ground in the Law of Copyright,” Harvard Journal of Law & Technology, Volume 3, Spring Issue, 1990
http://jolt.law.harvard.edu/articles/pdf/v03/03HarvJLTech209.pdf
マイクロプロセッサーのマイクロコードの著作権をめぐるNECとIntelの裁判における1989年の判決 NEC Corp. & NEC Electronics, Inc. v. Intel Corp., No. C-84-20799, 1989 WL 67434に関する論文。
同論文によると、 それ以前の判決 NEC Corp. v. Intel Corp., 645 F. Supp. 590 (N.D. Cal. 1986)は、判決を下した地裁判事がインテルの株式を所有していたことが判明したため無効となった。[NEC Corp. v. U.S. Dist. for N. Dist. Cal., 835 F.2d 1546 (9th Cir. 1988)]

同論文によると、判決の主要内容は下記の3点である。
1) インテルのマイクロプロセッサーのROMの中に埋め込まれているマイクロコードは著作権保護の対象となること
2) マイクロコードに関するリバースエンジニアリングはマイクロコードの著作権を侵害するものではないこと
3) 類似のマイクロコードを「クリーンルーム」で独立に開発した場合には著作権侵害を犯していないことの説得的証拠となること

PCの歴史関連資料

1000Bit
http://www.1000bit.it/
1970年代後半期および1980年代おけるPC関連のデータベース、および、下記URLからパンフレット、広告、マニュアルなどの資料を見ることができる。

インテルの社史

インテルの社史をインテル社の下記Webサイトからダウンロードすることができる。

http://www.intel.com/about/companyinfo/museum/archives/anniversary.htm

インテルの15年史
A Revolution in Progress (1968-1983)
印刷用PDF

インテルの20年史
Intel: Architect of the Microcomputer Revolution (1968-1988)
印刷用PDF

インテルの20年史
Defining Intel: 25 Years/25 Events (1968-1993)
印刷用PDF

インテルの35年史
Intel: 35 Years of Innovation (1968?2003)
印刷用PDF

1970年代前半期のmicrocomputerの広告等における性能・機能の「誇張」表現問題

1970年代前半期にはmicrocomputerに関する広告やマニュアルでは、下記のようにmicrocomputer製品の機能・性能がminicomputerと匹敵するかのように論じられているが、これはmicrocomputerやPersonal computerが製品カテゴリーとして認知されてはいないために最も近い既存製品カテゴリーに位置づけたことや、製品拡販のために一定の「誇張」表現を必要としたことによるものである。

1)R2E(Réalisation d’Études Électroniques)のMIcral(1973)
Micralは「極めて低コストであることを主要な特徴とする、初めての新世代ミニコンピュータである」(Réalisation d’Études Électroniques(1974) Micral Users Manual, p.76)とか、「普通のミニコンピュータが目的としない」プロセス制御がMicralの主要用途である(ibid.,p.66)とされている。
Réalisation d’Études Électroniques(1974) Micral Users Manual
http://bitsavers.org/pdf/r2e/MICRAL_N_Users_Manual_Jan74.pdf

2) MITSのAltair8800(1975)
MITSのAltair8800に関して、Popular Electronicsの1975年1月号表紙におけるキャッチコピーは 「商用モデルと競う、世界最初のミニコンピューターキット」(World’s first minicomputer kit to rival commercial models – the Altair 8800)、「これまでになされた中で最も強力なミニコンピューター・プロジェクト」(The most powerful minicomputer project ever presented – can be built for under $400)というものであり、Altair8800をminicomputerとするような記述がなされている。
 またRoberts, H. Edward and William Yates (1975) “Exclusive! Altair 8800: the Most Powerful Minicomputer Project Ever Presented-Can be Built for Under $400,” Popular Electronics, January 1975, p.34においては、「[Altair]8800で使用されているCPUのインテル8080というLSIチップは、・・・現在の商用ミニコンピューターとその性能を競うミニコンピュータを創る役に立っている」(The CPU used in the 8800 computer, the Intel 8080 LSI chip, is relatively expensive in quantities of one. It was selected, however, because it serves to create a minicomputer whose performance competes with current commercial minicomputers)と言うように主張されている。
 なお同論文のp.33ではAltair8800で使用されているインテルのCPU8080の「基本命令語は78語であり、通常のミニコンピューターの40語よりも多い」( It has 78 basic machine instructions ( as compared with 40 in the usual minicomputer)).とも書かれてている。

Tandy Radio Shack社のTRS-80関連資料

Tandy Radio Shack社のTRS-80の1977-1992年のカタログを見ることができるWeb
Ira Goldklang’s TRS-80 Revived Site
http://www.trs-80.com/wordpress/catalogs-radio-shack/

http://www.radioshackcatalogs.com/html/index_computer.html

カタログ本体のダウンロードできないが、カタログの一覧は下記にもある。
http://www.retrocomputing.net/parts/r/radio/TRS80_4/docs/trs80-cr.htm

TRS-80 Microcomputer News
http://www.trs-80.org/trs-80-microcomputer-news/
http://www.trs-80.com/wordpress/magazine-microcomputer-newsletter/

8008に関する証言

8008がDatapoint社の端末製品Datapoint2200に採用されなかった理由
Faggin, Federico(1984) “Interview : Federico Faggin”における証言 – 動作速度が遅かった
Fagginは、Datapoint社のインテリジェント端末をエミューレートするチップとして提供することを目的に開発された8ビットCPUの8008に関して、その動作速度が遅かった(it was slow)ため採用されなかったと証言している。
[出典]Faggin, Federico(1984) “Interview : Federico Faggin,” Computerworld, July 30 1984,p.6
 
Zaks, R. (禿節史訳,1980)『マイクロプロセッサ』における記述 — 「動作速度が遅かったこと」、および、「バイポーラ素子の低価格の急速な進行」
これに関連してZaksは、同様に8008の動作速度が遅かったが、予想外なことにそれが売れた、という証言をおこなっている。またZaksは、データポイント社はバイポーラ素子の価格低下にともない、インテルが開発した8008ではなく、バイポーラ素子で端末を製造することにしたと述べている。

「その次の重要な出来事は、1972年に、同じくインテル社から最初の汎用8ビットマイクロプロセッサ8008が開発されたことである。その数年前に、デイスプレイ・ターミナル杜(現在のデータポイント社)がワンチップでCRTを制御するモノリシックのプロセッサ開発を要求し、競争の末、ふたつの半導体メーカが開発許可を得た。テキサス インスツルメンツ社とインテル杜である。数ヶ月間の努力の後、テキサス インスツルメンツ社が撤退した。一方、インテル社は開発を続け、ついにデータポイント杜の要求にあう素子を作り上げた。しかし、ただ一点だけ要求を満足させえなかった。動作速度が遅すぎたのである。その上、同じ時期に、パイポーラ素子の価格競争が始まり、どんどん価格が下がってきた。
インテル社が開発したプロセッサの動作速度が適当でなかったことと、バイポーラ素子の価格が非常に安くなったことなどから、データポイント社はバイポーラでその制御装置を作ることに決定した。インテル社には、その開発の結果できた素子が残ったが、その明確な市場はなかった。非常に新しい会社であった当時のインテル社の主力製品はメモリである。そこで、少しでも多くのメモリが売れればよいという仮定のもとに、(しぶしぶ?)この8008を市場に出したが、この設計に関するあらゆる仕事を中止し、開発グループも他の仕事に移り、マイクロプロセッサもこれで終りになるはずであった。
これを作った会社も、その競争相手も、ともに驚いたことには、この新製品(マイクロプロセッサ)が急に売れ始めたのである。

[出典]Zaks, R. (禿節史訳,1980)『マイクロプロセッサ』マイテック、p.42
 
8008とDatapoint社の端末製品Datapointとの関係
8008の起源に関するStan Mazorの証言(p.2) - 1969年12月にCTC(Computer Terminal Corporation, 後の Datapoint)のVictor Poorと会い、8ビットコンピュータの開発途中であることを聞いた。それでStan Mazorは、その開発途中のコンピュータに関して3つの案の内の一つとして、マイクロプロセッサを提案した。これは、Stan MazorがTed Hoffと4004マイクロプロセッサの開発作業をした経験の優位性から出たものである。
I met with Victor Poor around Christmas time in December ’69 and asked him what he needed the stack for and he said he was building an 8-bit computer. I asked him a little bit about it, and I had the advantage that I’d been working with Ted Hoff on the 4004 since October (for several months), so the idea of a central processor on a chip was something that we were working on [already]. And I asked him about his computer and how smart it was, and what it had to do. I wrote out in front of him three proposals. One was an 8-bit register set with a stack, and another was a register stack with an arithmetic unit. And then I went on to the third proposal and said, “Well, it’s possible we could do the entire 8-bit CPU on one chip.” Well, he certainly wasn’t about to believe that, but he was interested.
 
8008の起源に関するStan Mazorの証言(p.2) - 1970年1-2月期にCTCのVictor Poorから、同社のコンピュータの命令セットがわかるプログラミング・マニュアル(アセンブリ言語マニュアル)を受け取った。それにより、4004との連関に関する興味深い事実[4004と同量のレジスター・メモリー]に気がついた。
I said, “But we need to know more about your computer before we could proceed with that.” So in the January/February timeframe, he sent us a programming manual– sort of an assembler language manual disclosing the instruction set of his computer. Ted and I had a look at that and one of the interesting things is,[that] it had about the same amount of register memory as we had in the 4004, an 8-deep stack which is about the same amount of memory that we had in the 4004.
 

Federico Faggin, Hal Feeney, Ed Gelbach, Ted Hoff, Stan Mazor, Hank Smith(2006) Oral History Panel on the Development and Promotion of the Intel 8008 Microprocessor
http://archive.computerhistory.org/resources/access/text/2012/07/102657982-05-01-acc.pdf

INtelのHal Feeneyは、Datapointが定義した命令セットを、マイクロプロセッサの開発に利用可能なように1970年3月に翻訳した
Federico Faggin: Well, Vic Poor told me that in fact they tried it and it never worked.
 
House: So then Hal came on the scene. I understand you were hired to develop this chip. Tell us your story, Hal.
Hal Feeney: I got involved in what was [called] the 1201 at that time. It was Intel’s first 8-bit microprocessor and with the 1201 [internal] name. I joined Intel on March 9th of 1970. I remember the date for a variety of reasons, but on March 9th, 1970, I also have the handwritten spec that Stan put together that took the instruction set that Datapoint had defined, translated that into a concept that we could use for developing the microprocessor. So from that concept spec, and from the concept timing diagrams that were there, we looked at the pins that would be needed to communicate with the outside world and went to defining a functional block diagram for the chip itself. We also went into defining what the logic would be to accomplish and set up and decode all of the instructions that were part of the instruction set. So as we went through that process, it took about two months for us to develop the initial preliminary specification and develop the block diagram. And going back to some comments that were made about TI, it was at the same time that TI, based on other knowledge that we’ve had, TI was designing a 3-chip set and were designing a serial processor. Intel’s was a single chip and was a parallel processor. And to that point, CTC, Computer Terminal Corporation at the time before their name was changed to Datapoint, was working with both companies and sharing information back and forth so that they could get the best product that they possibly could. And as it turned out, the Intel product was moving along up through the middle of approximately 1970 where we were finishing all of the functional aspects of the specification, getting the specification approved both internally and then sharing it with CTC. And that carried on up through about July of 1970, and at that point in time, there were some problems. I wasn’t really associated with it from the sales side, but there were some problems with whether the customer really was going to follow on and use the chip or was not going to use the chip. As a result, there was about a six-month hiatus. A little bit of work was done on the chip specification, but about a six-month hiatus in terms of the design itself while we went and did some other work at Intel. I also put in some of my time working with Federico on the 4004 and the 4000 series products.
 
マイクロプロセッサ市場を創造したのは、8008ではなく、8080である
Fagginによる証言「8080がマイクロプロセッサ市場を実際に創った」(“The 8080 really created the microprocessor market”)
 
Paul Allenの証言– Fagginの上述の証言を引用するとともに、8080がBASIC-ready microprocessorであることを強調している

Paul Allen(2011) Idea Man: A Memoir by the Cofounder of Microsoft, Portfolio/Penguin

AllenにおけるBASICの重要性認識 — 最初のコンピュータ経験としてのBASIC

It was plain to me from the outset that we’d use BASIC (Beginner’s All- Purpose Symbolic Instruction Code), the relatively simple language that Bill and I learned back at Lakeside in our first computer experience.“(p.4)
 
8008でBASICを動作させることの困難性に関する認識 – GatesからAllenへ
“And so I asked Bill, “Why don’t we do a BASIC for the 8008?” He looked at me quizzically and said,“Because it would be dog- slow and pathetic. And BASIC by itself would take up almost all the memory. There’s just not enough horsepower— it would be a waste of time.” After a moment’s reflection, I knew he was probably right.”(p.4)
 
8008でBASICを動作させることの困難性に関する認識 – GatesからAllenへ
“I had no way of knowing that Federico Faggin, the great chip designer was already pushing Intel management to start work on the Intel 8080, to be heralded by Electronics in the spring of 1974. The newest microprocessor could address four times as much memory as its predecessor. It was three times as powerful and much easier to program. Hank Smith was wrong; the 8008 would soon be obsolete. As Faggin would say, “The 8080 really created the microprocessor market. The 4004 and 8008 suggested it, but the 8080 made it real.”
One thing seemed certain: The 8080 met the criteria for a BASIC-ready microprocessor. As soon as I read the news, I said to Bill, “This is the chip we talked about.” I regaled him with the 8080’s virtues, not leas its bargain price of $360. Bill agreed that the 8080 was capable and the price was right. ”
https://books.google.co.jp/books?id=3lFczEsFLRsC&lpg=PT11&ots=SlvZmbTuna&dq=%E2%80%9CThe%208080%20really%20created%20the%20microprocessor%20market%22&hl=ja&pg=PT11#v=onepage&q=%E2%80%9CThe%208080%20really%20created%20the%20microprocessor%20market%22&f=false

マイクロプロセッサー市場に関するFagginの予測

Fagginは、1984年のインタビューにおいて開発時におけるマイクロプロセッサーの販売予測量を聞かれて、「1972年時点では1980年に1000万個程度と考えていたが、実際には1億個に近かった。ただし購入したのは、伝統的なコンピュータ企業ではなかった。最初の[マイクロプロセッサーを実際に購入した]イノベーターは、エレクトロニクス関係企業というコンピュータ産業の外部者であった。」(Q. Did the way the microprocessor market evolved surprise you?/ Yes and no. There was no question that the microprocessor would create a revolution. If someone asked me in 1972 how many microprocessors would be sold in 1980, I would have guessed in the 10 million range. The number was closer to 100 million./ I also expected that traditional computer companies would turn to the microprocessor. Yet they resisted, and early innovators came from outside the industry — people who were turning to electronics for the first time./ The same phenomenon occurred with microcomputers.)と述べている。
[出典]Faggin, Federico(1984) “Interview : Federico Faggin,” Computerworld, July 30 1984,p.6

「最初のmicrocomputer あるいは、最初のPCは何か?」という問題

「最初のマイクロコンピュータ(microcomputer) あるいは、最初のPCは何か?」という問題に対しては様々な見解がある。というのもその問題は「マイクロコンピュータ(microcomputer)とは何であるのか?」とか、「PCとは何であるのか?」という定義も問題であり、論理的には様々な定義が可能だからである。

Fagginの見解
Faggin,F. (1984) “Interview : Federico Faggin,” Computerworld, July 30 1984,p.6の見解

    最初にマイクロコンピュータをつくった企業はフランスの会社RPEである。その後、IMSAIやMITSといった他の会社が探し求めていた製品を導入した。それらの会社が、原始的なOSを備えた小さな、本来的なマイクロコンピュータを造り上げたのである。/[ただし]その市場は主としてホビイストのためのものであり、強力なソフトウェアはまだ存在していなかった。(The first company to produce a microcomputer was a French company, RPE. Then other companies like [lmsai. Inc.] and Mits introduced products that were solutions looking for a problem. They produced small, generic microcomputers with primitive operating systems./The market was primarily for hobbyists, and powerful software was nonexistent.)

Fagginが挙げているフランスの会社RPEは、R2E (Réalisation d’Études Électroniques)の間違いかと思われる。R2Eは、Intelの8008を用いたMicralを1973年に発売している。Micralはマイクロプロセッサーを用いた世界最初の商用コンピュータの一つとされている。

Intelが開発した二つの異なるMicro Computer System (MCS)
低コストを強調したの MCS-4(November 1971) , 汎用性(versatility)を強調したMCS-8(April 1972)
それらは二つの極めて異なる市場(two very different markets)をターゲットとしており、片方は低価格の制御装置(controller)市場を、もう一方は汎用パーソナル・コンピュータ(a versatile personal computer , PC)市場をターゲットとしている、というように、Mazor, Stanley (1995) “The History of the Microcomputer — Invention and Evolution” Proceedings of the IEEE, Vol. 83, No. 12 (DECEMBER 1995)は主張している。

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