デビット・ボームの自然観

[初出]佐野正博(1986)「デビット・ボーム」里深文彦編『ニューサイエンス入門』洋泉社,pp.126-130をもとに、一部の表現を訂正するとともに、注を付け加えた。

ボームと「隠れた変数」の理論 --- 最初は否定的、1952年に立場を変える

ボームにおける「分割不可能な全体性」の強調 --- ボーアの相補性原理の影響

運動一元論的自然観としてのボーム的思想 --- 場の理論に基づく力学的自然観への批判

implicate orderとexplicate orderの区別の相対性 --- 自然の無限の階層性のもとでの歴史的相対性

[注1] ここでデカルト的自然観という単語で意味しているのは、歴史的なデカルトの思想そのものではなく、一般にデカルト的とされている考え方である。デカルトは、哲学的には物体の本質を延長と捉えることによって、自然界の中から運動を追放している。物体は「延長」しているだけであり、「運動」してはいない。「延長」を物体の本質とすることは、「運動」を物体の本質とはしない、ということである。こうしたデカルト本来の自然観では、「地球は運動しているのかいなか」ということは間違った問題設定であり、「太陽を中心として地球が運動している」とする地動説的見解も、「地球を中心として太陽が運動している」とする天動説的見解も共に「不適切」な主張であることになる。
 別稿で論じたように、『世界論』(Le Monde,1633)など初期デカルトとは異なり、『哲学原理』(Principia philosophiae,1644)など後期デカルトはこうした徹底的な幾何学的自然観の立場に立っていると捉えるべきである。
 幾何学的自然観は物理学的には運動の相対性につながる主張として歴史的意味を持ってはいるが、自然観それ自体としては運動の存在を否定する主張であり、「運動の相対性」それ自体を否定する主張である。