量子論の基礎を築く・・・プランク
[初出]佐野正博(1994)「量子論の基礎を築く・・・プランク」『化学』1994年12月号,pp.840-841、表現等を一部変更。
黒体放射のスペクトル分布
物体はその周囲に熱を電磁波として放出しているが、放出されているその電磁波すなわち熱放射のエネルギー密度の大きさは波長によって異なる。熱放射のエネルギー密度の大きさが波長とともにどのように変化するのかということ、すなわち熱放射のスペクトル分布の形は、個々の物体ごとにさまざまである。
しかしすべての波長の光を同じように吸収し反射する物体すなわち完全に黒い物体の場合には、熱放射のスペクトル分布は図1のようにその物体の温度だけによって決まり、物体が何であるかにはまったく関係しない。
完全に黒い物体すなわち黒体は、すべての波長の光をその内部で完全に吸収・反射し外部にもらすことのない空洞と物理的に等価である。それゆえ黒体放射のスペクトル分布は、空洞内の熱放射すなわち空洞放射のスペクトル分布とまったく同じになる。
電球や溶鉱炉の熱放射
熱放射を研究することは、転炉や白熱電球の発明期であった19世紀において重要な技術的意味を持っていた。例えば、転炉の中でドロドロに熔けた高温度の鉄が出す熱放射は空洞放射の一種と考えることができる。空洞放射はそれを放出している物体と熱平衡状態にあるので、空洞放射の温度がわかれば物体の温度がわかる。したがって空洞の熱放射を研究することは鉄の品質管理上の問題である鉄の温度測定に役立つと考えられる。また、白熱電球が出す熱放射すなわち放射光を研究することは電球の光度の規格化に役立つものであった。
それゆえ熱放射の研究は、冶金や照明などの技術分野において飛躍的な発展を遂げつつあった19世紀ドイツで社会的に重要な意味を持っていた。プランクが熱放射の研究を始めたのはそうした時代状況の中においてであった。
プランクと熱力学
プランクは学生時代にクラウジウスの論文集を読み、その中でクラウジウスが熱力学の第一法則と第二法則を厳密に定式化するとともに、それら二つの法則をはっきりと分離していることに強烈な印象を受けた。プランクが熱力学第二法則を博士論文のテーマにすることに決めたのもそのためであった。
そうしたこともあって熱力学に絶対的な信頼を寄せていたプランクは、空洞放射が熱平衡状態にあることから、熱力学を空洞放射に適用することでそのスペクトル分布が理論的に説明できると最初は単純に考えていた。
実際、プランクはウィーンが1896年に導いた分布式を熱力学的に検討した結果として、エントロピー増大の原理を満たす空洞放射のスペクトル分布式はそれ以外には存在し得ないと考えた。それゆえプランクは空洞放射のエントロピーをウィーンの分布式から導出することで最初は満足していた。
空洞放射とエントロピー増大の原理
しかし空洞放射のスペクトル分布に関する測定技術がさらに進歩する中で、ルンマーとプリングスハイムによって波長の大きな領域では図2のようにウィーンの分布式が測定結果と合わないことが1900年に発見された。
しかもティーゼンがそうした測定結果を説明するものとして新たに発表したスペクトル分布式もウィーンの分布式と同じようにエントロピー増大の原理を満たしていた。これによって、エントロピー増大の原理だけで空洞放射のスペクトル分布の形が一意的に決まるはずだというプランクの考えが誤っていることがはっきりとした。
その結果としてプランクは、空洞放射のエントロピーの物理的な意味について詳しく考察する必要に迫られた。すなわち、熱力学を空洞放射に適用する際に、ウィーンの分布式から空洞放射のエントロピーを計算するというような循環的手法を取るのではなく、ボルツマン的なエントロピーの定義S=klogW を用いて空洞放射のエントロピーを導出するようにせざるを得なかった。
プランクとボルツマン的エントロピー定義 --- 空洞放射のエントロピー
そのためにもまずプランクは、ティーゼンの分布式よりもさらに正確に実験結果と合う分布式を理論的に探し求め、空洞放射のエントロピーSをエネルギーUで二階微分した式がエネルギーUを用いてどのように表せるのかを考察した。そして1900年10月には、短い波長領域においてはウィーンの分布式を一つの極限法則として含むとともに、ルンマーとプリングスハイムの観測結果をもうまく説明できるような新しい分布式、現在ではプランクの分布式と呼ばれている式に到達した。
プランクは実験結果とよく一致するこの分布式を手がかりとしながら、それがどのような物理的な意味を持っているかの考察に没頭した。
このことは従来の研究の立場からの大きな転換をプランクにもたらした。プランクは、系のエントロピーとエネルギーの関係を導出するために熱力学第二法則以外のものをどうしても必要とした。そのためプランクは、熱力学第二法則は最も根本的な法則の一つでありそれ以上の理論的基礎付けを必要としないとするそれまでの立場を捨て、系の物理的構造の分析を通して熱力学第二法則を統計的に基礎づけようとするボルツマン的立場に移行せざるを得なかった。
空洞放射における場合の数Wの計算の基礎としてのエネルギー量子ε
プランクは、気体分子に対してボルツマンが想定した分子的無秩序という理論的概念に対応するものとして電磁波に対して「自然放射」という考え方を想定することで、ボルツマン的なエントロピーの定義を空洞放射の電磁波に適用した。
具体的には
プランクは、空洞放射を放出している共鳴子という仮想的実体にエネルギーがどのように分配されるのかという場合の数Wを計算することで、ボルツマン的なエントロピーの定義S=klogWという式から空洞放射のエントロピーを理論的に導出した。
ただそのようにエネルギーの分配の場合の数を計算するためには、どうしてもエネルギーがある一定の単位から構成されていると考える必要があった。こうしてプランクは1900年12月には、エネルギーに関するそれ以上分割不可能な単位、すなわちエネルギー量子ε=hνという考え方に到達した。
ただエネルギーの分配の場合の数の計算のためにエネルギーを一定の固まりから構成されるものとして理論的に想定したのはプランクが最初ではない。すでに1872年にボルツマンが気体分子の速度分布則の理論的導出の際に同じようなことを行っている。
ここでプランクが幸運だったのは、分配の場合の数Wを有限に抑えるために、エネルギー量子εをボルツマンのようにゼロに極限移行することが論理的にどうしても不可能だったことである。そのためプランクは、プランク定数hをゼロに極限移行させることなく、hを電気素量eなどと同じく普遍定数としてある一定の定数値としたのである。