中世の動力水車技術
中世ヨーロッパにおける動力水車の普及
中世前期ヨーロッパにおける動力水車の普及要因
労働力不足(奴隷供給の途絶、中世初期における人口減少)
非地中海地域ヨーロッパにおける河川水量の安定性→→製粉用動力水車の普及
中世後期における動力水車の普及要因
農業生産力の増大にともなう経済活動の活発化
↓
<動力需要の拡大>
縦型動力水車の技術改良
下射式水車から中射式水車・上射式水車へ
↓
<水力エネルギーの利用効率の改良>
自然的制約・地理的制約の克服のための技術的努力
水力用ダムや水力用水路の開発
浮き水車(舟水車)、橋水車、吊り水車、潮力水車などの発明
↓
<動力水車を利用可能な地域の地理的拡大>
動力伝達系技術(クランク軸・カム軸など)の革新
↓
<多様な作業工程での利用(利用法の増大)>
1.中世ヨーロッパにおける動力水車の普及
中世ヨーロッパにおける動力水車の重要性=中世ヨーロッパにおける中心的エネルギー源としての水車 →→ 中世期にヨーロッパ大陸全域に動力水車が普及
cf.ホワイトの中世動力革命説
A.D.500年からA.D.1200年の中世期にヨーロッパ大陸全域に動力水車が普及
動力水車は既にローマ時代には存在したが、その利用は比較的限定されたものであった。
ローマ時代においては、水車動力と同様に家畜動力の利用も限定的であった。人間動力に代わる動力要素の利用が相対的に限定されたものであったことに関しては、ローマ時代のヨーロッパにおける動力需要の大きさ、動力利用技術の相対的未熟さ、奴隷労働の存在など多様な要因が関係していると思われる。
中世ヨーロッパになり、そうした諸要因がなくなるにつれて、動力水車がしだいに利用されるようになってくる。
中世ヨーロッパでは、ローマ帝国の崩壊とともに(あるいは一面ではその崩壊ゆえに)、ヨーロッパ全域で動力水車が広く利用されるようになってくる。そのことは、中世前期ヨーロッパの法令における製粉工場の動力源としての水車に関する記述や、11世紀末イギリスにおける水車の調査記録( ドゥームズデイ検地)などに見ることができる。
事例1>11世紀イギリスにおける水車の調査記録
--- ドゥームズデイ検地(1080-1086) ---
「
『ドゥムズデイ・ブック』は、3000に及ぶさまざまな箇所で5624台の製粉水車を数え上げているのである。それによれば、南・東イングランドの小河川のほとんどは水車でおおいつくされていた。多くの地域で、水車は互いに1マイルとは離れていなかった。一部の地域では、10マイルの間に30もの水車があった。イングランド全域を通じて、
平均すると50世帯ごとに1台の水車があった
のである。
11世紀に、イングランドが技術的に大陸を凌いでいたと信じるに足る理由はないので、ヨーロッパの一部の地域ではこのころまでに、水車がもっと盛んに利用されていた可能性は十分にありうる。」レイノルズ『水車の歴史』p.62
cf.Hodgen,Margaret T.,"Domesday Water Mills",Antiquity 13(1939),pp.261-79
1マイル≒1.6km
その地方の推定人口は約140万人なので、平均すると約50世帯に一台という割合
少なからぬ数のものが18世紀の産業革命中もまだ動いていた。
事例2>フランスにおける水車の普及
フランスのルーアンのセーヌ川の小さな一支流の岸辺
2台(10世紀)→5台(12世紀)→10台(13世紀)→12台(14世紀)
フランスのフォレ地方
12世紀のはじめ 1台→13世紀 約80台
フランスのオーブ地方
11世紀 14台→12世紀 60台→13世紀のはじめ 約200台
フランスのトロア地方
1157−91年の間に、セーヌ川とメルダンソン川に11台の水車が建てられた。
↓
1493年には、この地方には20台の製粉用の水車と、14台の製紙用水車と、2台の製革用水車と、4台の縮絨用水車と、1台の製布用水車と、計41台の水車があった。
2.中世前期ヨーロッパにおける動力水車の普及要因
A.中世前期ヨーロッパにおける労働力不足
・労働力不足の原因(1)・・・・「奴隷供給の途絶」
・労働力不足の原因(2)・・・・「中世初期の人口減」
B.非「地中海」ヨーロッパ地域の自然条件・・・・安定した河川水量
地中海地域の河川に比べてヨーロッパの河川は水量が安定し、水車の架設に適していたため、中世前期には非「地中海」ヨーロッパにおいて、動力水車の普及があった。
3.中世後期ヨーロッパにおける動力水車の普及要因
中世後期ヨーロッパにおける動力水車の普及には、下記のような技術的要因以外に、水車技術の紹介と伝播に大きな役割を果たしたシトー教団などの存在も考慮する必要がある。
なお、中世後期ヨーロッパにおける動力水車の普及は、荘園領主や都市の商人階級における水車経営による利潤獲得への関心にも見て取ることができる。
シトー教団
シトー教団は「祈り、働け」をモットーとしていた。シトー教団の起源は、フランス、ブルゴーニュ地方のシトーの荒野に建てられた修道院である。シトー教団がヨーロッパ各地に建てた修道院には、各種の作業を営むための水車場が施設として必ず設けられていた。
a.「12,13世紀における農業生産力の増大(大規模開墾、三圃式農法)、植民、都市の発展」→→「経済活動の活発化」→→「労働需要の高まり=実質賃金の上昇傾向」→→「動力需要の増大」
1150年から1300年にかけての穀物価格の上昇は人口の急速な増加を示唆している。(開墾による耕作面積の増大や農業技術の改良による単位収量の増大にも関わらず、需要と供給のバランスが崩れ穀物価格が上昇したことはそれだけ人口増加が急激であったことを示唆していると考えられる。)
また、人口増加にも関わらず実質賃金が上昇したことは、経済発展の結果として人口の増加を上回る労働需要があったことを意味する。そのことはまた動力需要の増大も示唆している。
b.水の位置エネルギーの利用による水力エネルギーの効率的利用
--- 水車の羽根に水をかける位置の上昇・・・中射式水車・上射式水車の利用 ---
古代ローマにおける水道を利用した動力水車では、水車の羽根に水をかける位置を高くするのではなく、水車の羽根にかける水の流速が大きくされた。(図のように加速歯車ではなく減速歯車が利用されているのはそのためもあると思われる。)
c.動力水車の構造的改良による自然的制約の克服→利用可能地域の拡大
水位変化への対応(浮き水車、橋水車、吊り水車)
水の位置エネルギー利用可能性の徹底的追求(潮力水車)
d.動力水車における動力伝達機構(クランク軸・カム軸など)の改良と普及による、 多様な作業工程での利用可能性の増大---
回転運動の直線運動への変換に関わる動力伝達系技術(クランク軸・カム軸)の革新