日本におけるマイコン・キット時代 ---1976〜1978年 ---

  1. マイコン・キット ・・・ 技術者向け「評価用キット」がマニア向け「商品」として好評を博す
  2. (コンピュータへの憧れの存在)

  3. 日本におけるマイコン・キット時代


  4. NECのTK−80

  5. 1〜2日で1万台の量産が可能なマイクロプロセッサー(CPU)の販売促進手段としてTK-80
    1976年2月、NECは半導体部門の中にマイクロコンピュータ販売部(同年9月に電子デバイス販売事業部と改称)を設置した。「当時の国内のミニコン市場はせいぜい年間一万台。ところがマイコンは一日か二日で一万台できてしまう。それを何とか売りさばけというわけです」(当時のマイクロコンピュータ販売部長渡辺和也氏談、『日本経済新聞』1999年6月3日夕刊)ということで、教育向けのキットとしてTK-80(Training Kitの頭文字からTKを、CPUがインテル社製 CPU8080 の互換CPUの μCOM8080A であったことから数字として80を取った)を販売した。

    キットとして販売した理由
     キットにした理由は二つあると言われている。一つは、「部品部門が製品まがいのものを売るとは何事か」「大企業がおもちゃを扱ってどうする」といったNEC社内の議論への配慮であった。完成品(製品)ではなく、部品と説明書をただビニール袋に入れただけのキットであれば部品部門でも販売しておかしくないからである。もう一つの理由は、完成品(製品)として販売した場合、製品保証やアフターサービスなど供給責任が生じるが、それへの対応が十分にはできないためである。価格は、「当時の企業の係長の決裁権限が十万円だったので八万八千五百円にした」(『日本経済新聞』1999年6月3日夕刊)ということである。
     最初の販売見込みとしては、月に十台程度と考えていたのが、すぐに万単位の注文が舞い込んだと言われている。こうしてNECのTK-80をきっかけとして、上記の表のように日本でも全国的にマイコンブームが生じたのである。

    TK-80に関する資料(単行本・論文・記事・Web)
    1. 太田 行生(1983)『パソコン誕生』日本電気文化センター,pp.18-30( p.30にTK−80シリーズの主要仕様)

    2. 富田倫生(1994)『パソコン創世記』TBSブリタニカ,1994年12月21日の第一章「誕生! 超貧弱マシン」

    3. 尾賀聡一郎『The Collection of Historic PC Leaflets』「TK−80」
      http://web.kyoto-inet.or.jp/people/s-oga/tk80/index.html

    4. nkomatsu@st.rim.or.jp 「半導体コレクション展示会場」

    5. http://www.st.rim.or.jp/~nkomatsu/evakit/TK80.html

    6. 榊 正憲(2000)『復活! TK-80 』アスキー