- 製品開発の契機は日本企業の依頼、製品開発には日本人も深く関与
(1)日本のビジコン社からの依頼を契機とした開発開始 ---- <専用LSI>から<汎用LSI+プログラム内蔵>へ
ビジコン社は1966年にメモリ付き電卓「Busicom
161」を29万8千円で販売開始した。それまでの電卓の価格は40万円台であったこともあり大ヒットした。それはまだ論理素子にトランジスタとダイオードを使用したものであったが、1967年頃からトランジスタに代わってICが電卓の論理素子として使用されるようになり、1969年にはシャープがMOS
LSIを使用した8桁電卓「マイクロ・コンベットQT-8D」を9万9800円で販売開始し、電卓業界に衝撃を与えた。LSIの使用により電卓の価格は急速に低下した。
こうした状況の中でビジコン社は、電卓の動作プログラムをROMメモリの中に内蔵させ、「メモリの内容を変えるだけで違った電卓モデルを作る」ことによりコスト削減を図ろうと考え、「何種類もの電卓やビリング・マシンなどのビジネス機器に応用できる、電卓用の汎用LSI」[嶋正利(1987),p.21]を開発することにした。すなわち、ビジコンは、「計算機能のほかにかなりの入出力機器(キーボード、メモリ、表示、プリンタ、CRT、IBMカードなど)を持った電卓や、伝票発行機や銀行の端末機などのOA機器にも使える」(嶋正利(1995)『次世代マイクロプロセッサ』日本経済新聞社,p.59)ことを目的とした汎用LSIをインテルと共同開発しようとしたのである。
ビジコン社は高級電卓のコストダウンのために、処理機能がハードウェア的に作り込まれており一定の製品群にしか対応しない専用LSIを開発するという従来の方式に代わりに、ソフトウェア的に対応することで複数の製品群に対応可能な「汎用」的LSIの開発を考えたのである。
(技術論的に言えば、CPUの発明以前の時期には、工作機械に関する専用機と汎用機の対立と同様の、専用LSIと汎用LSIという対立があった。CPUの発明は、そうした専用LSIと汎用LSIというハードウェア次元における対立を、「LSI」というハードウェアとそれに内蔵するソフトウェアの組み合わせという方式、すなわち、「ソフトウェア内蔵(プログラム内蔵)LSI」=CPUという方式で乗り越えようとするものであった。)
そしてそうした製品設計に対応した電卓用LSIの開発をIntelに依頼することにした。1969年6月20日、嶋正利氏はそのためのアイデアと論理図を携えて渡米し、インテルの技術者と共同で開発を始めた。ビジコン社から電卓用として12種類のカスタム・チップの開発依頼があった際に、インテル社のテッド・ホフは12種類のチップと同等の機能を持たせた4つのチップを設計することで対応しようというアイデアを逆に提案した。すなわち、「N桁の計算機をN桁のマクロ命令を使って作る」代わりに、「4ビットのLSIを作ってあとはプログラムでN桁を実現する」[嶋正利(1989)「マイクロプロセッサの誕生からパソコンまで」[SE編集部編『僕らのパソコン10年史』翔泳社,1989年所収]p.48]というホフのアイデアを出発点として、マイクロプロセッサーが発明されたのである。
実際の開発作業は一度中断があり、1970年2月のインテル社とビジコン社の正式契約後に本格的開発がはじまった。インテル社のこのCPUの開発には、日本のビジコン社に在籍していた嶋正利氏も関わっている。
ビジコン社がインテル社と交わした契約書はビジコン社やインテル社の下記のWebページで見ることができる。
(ビジコン社はその当時は日本計算器販売という名称であった)。
(2)4004のスペック
このCPUは、幅が約3 mm、長さが約4 mmという極めて小さなものであった。動作周波数は750MHzで、8クロックまたは16クロックで1命令を実行した。インテル社の資料によると基本的計算性能は約0.06
MIPS 、すなわち、1秒間に命令を6万回実行できるとされている。4004の約25年前の1946年に開発された世界最初期のコンピュータENIAC(加算速度0.2ms,乗算速度 10桁×10桁で2.8ms,除算速度
6msという計算速度であった。18,000本の真空管を使用し、280立方メートルという巨大な容積のものであった)と同様の計算処理能力を持っていた。
嶋正利(1987),p.58では「最も基本になるクロックの周波数を750kHzとすると、大半の命令は10.8マイクロ秒(1秒間に9万2600回の命令が実行される)で実行される。このCPUで符号なしの16桁の加減算の演算を実行すると、いろいろの条件判断まで入れると、約1.6ミリ秒の時間が掛かる」とされている。
嶋正利(1987),p.58によると、4004に関して「1命令の実行は基本クロックを8つ使って実現しようとした。まず、最初の3クロックで、4ビット・アドレス/データパスを使用して、合計12ビットのアドレスをCPUからROMに送出する。次の2クロックで、8ビットの命令語をROMから4ビット・アドレス/データパスを通じてCPUに送る。最後の3クロックで、その命令語の命令機能そのものを実行する。」というように設計されたとのことである。(このことに関しては嶋正利(1987),p.62の図21が参考になる。)
4004における実際の計算処理過程において8クロックで実行される命令と16クロックで実行される命令の割合がちょうど1:1であった場合は命令が平均12クロックで実行されることになる。動作周波数(クロック周波数)を750KHzとすると、1秒間に750×1000=75万クロックであるから、1秒間に実行される命令数は75万÷12=6万2500個ということになる。
命令長は8ビットで、46個の命令に対応したCPUであった。なお4ビットCPUではあるが、メモリ・アドレスは3クロックを用いて4ビット×3=12ビットで指定しているので、メモリ空間の大きさは212バイト=4048バイト=4KBの大きさであった。
専用のメモリ・アドレス・バスはなく、汎用のデータ・バスを利用してメモリ・アドレスの指定が行われていた。
4004のサンプル価格は1個100ドルで、量産時にも30ドルより安くはならなかった、と言われている。[嶋正利(1987),p.91]
(3)なぜマイクロプロセッサーと名付けたのか?
ミニコンピュータとの対比でマイクロプロセッサーと名付けられたわけではない。
嶋正利(1987),p.2によれば、「CPUをマイクロプロセッサーと名付けたのは、電卓に使用したマクロ命令と比較して、より低い(コンピュータの機械語に近い)マイクロな命令を採用したためである」ということである。
なおマイクロコンピュータという名称は、「1971年秋のウェスコン・ショーにおいて・・・テッド・ホフによってMCS-4(Micro Computer System)として発表された」[嶋正利(1987),p.2]とのことである。
(4)なぜ4004という製品番号になったのか?
マイクロプロセッサーが4004という製品番号(型番)になったのは、下記の二つの理由による。
a.インテル社では1000番台をDRAMに、2000番台をSRAMに割り当てていた。そこで4ビットのCPUということで製品の型番としては4000番台が割り当てられた。[嶋正利(1987),p.73]
b.下表のようにマイクロプロセッサーを動かすのに必要な三つの周辺チップ(4001,4002,4003)
と組み合わせて発売されたからである。すなわちインテル社は、それら4つのチップを組み合わせることで、MSC-4という "micro
computer set"、"a microprogrammable computer
set" として売り出したのである。
型番 |
チップの種類 |
完成月 |
備考 |
4001 |
ROM |
1970年10月 |
プログラム保存用の読み出し専用メモリ(Read Only Memory)。256語(1語は8ビット,したがって全体で2048bit=256byte)の容量+4ビットのI/O |
4002 |
RAM |
1970年11月 |
データ保存用の読み書き可能なメモリ。80語(1語は4ビット,したがって全体で320bit=40byte)の容量 |
4003 |
シフト・レジスタ(SR) |
1970年10月 |
I/O拡張用(10bitのシフトレジスタと出力ポートを組み合わせたもの)。 |
4004 |
CPU |
1971年 3月 |
マルチプレクス・バス方式(一つのバスを時分割でアドレス・バスとデータ・バスとして共有する方式)の導入と、4001および4002のインテリジェント化により、4004は直接に4001を最大限16個、4002を最大限16個接続することができた。そのため、ROMは2,048bits/個×16個=32,768bits=4キロバイトまで、RAMは320bits/個×16個=5,120bits=640bytesまで簡単に拡張することができた。[嶋正利(1987),p.61]
なおインターフェース回路を用意すれば、4001と4002を最大で合計48個まで増設することができた。 |
<注>上記の表中の完成月の数字は、嶋正利(1987)『マイクロコンピュータの誕生』岩波書店,p.87に基づくものである。4004の完璧に動いたサンプルは1971年3月に完成していたが、その時点ではビジコン社との契約によりインテル社に外販の権利はなかった。ファジンが電卓用途以外にも4004が使えるとインテル社上層部に強く働きかけた結果として、インテル社は1971年6月から8月にかけてビジコン社と交渉し「開発費の返却とLSIのより低価格での提供」を条件としてビジコン社から4004の外販許可を得た[嶋正利(1987),p.91]。その後マーケティング調査をおこない、1971年11月15日付のElctronic Newsで4001、4002、4003、4004という4つのLSIが一体となってプログラムで動作させることが可能なコンピュータとなること、すなわち、それら4つのLSIのシステム性を強調した次の図のような広告宣伝がなされた。
|
4004の発表当時の広告(1971)
[図の出典] R. Noyce and M. Hoff (1981) "A History of Microprocessor Development at Intel," IEEE Micro, Vol.1, No.1, p.9
[原出所] Electronic News, November 15, 1971
|
MCS-4は、インターフェース回路を増設することなく標準の状態で、最大限4K×8bitのROM words,1280×4bit RAM characters,128
I/O linesを扱うことができた。インターフェス回路を用意すれば、 ROMおよびRAMパッケージを合計48個までつなぐことができるようになっていた。[上記の記述は、嶋正利(1987)『マイクロコンピュータの誕生 --- わが青春の4004』岩波書店,p.viの図1(4004に関するインテルの広告)およびp.3の図4(4004の最初のカタログの表紙)に基づくものである。]
4004の周辺チップの内の、4001と4002の写真および詳しい解説は下記Webページで見ることができる。
「MCS-4 周辺LSI」
http://www.st.rim.or.jp/~nkomatsu/intel4bit/i4004Peri.html
Intel社Webページ[http://www.intel.co.jp/jp/home/museum/hof/4004b.htm]上に4004の拡大写真がある。
- 特許出願されなかった偉大な発明「マイクロプロセッサー」
なお、知的所有権が極めて重視される現代では考えにくいことであるが、このCPUに関連した特許出願はなされていない。ビジコン社社長の小島義雄は4004の開発にメドがついた時点で「記憶装置にたくわえたプログラムをマイクロコンピューターで処理し、インターフェイス回路を通じて情報の出し入れを行うというマイクロコンピューターのシステム」に関して特許出願を検討したが、「LSIの技術も存在し、プログラムをたくわえておいて実行するという方式もコンピューターでは行われていたことから、小島は特許の取得を断念することになった」(富田倫生(1994)『パソコン創世記』http://attic.neophilia.co.jp/aozora/htmlban/gopc.html)ということである。
マイクロプラグラミング方式は1951年にMaurice V. Wilkes によって最初に提唱された。
小島氏は、特許を取得しなかったことによってその後のCPU業界の急速な発展が可能になったのであり、歴史的に大いに意味あることであった(遠藤諭(1996)「世界初のマイクロプロセッサ4004を作った男 嶋正利」
『計算機屋かく戦えり』ASCII社,p.438)、とも考えている。
ただし馬場玄式(「幻の"マイコン"帝国」『インターフェース』1977年10月号)氏は特許成立の可能性があったとし、 「(マイクロコンピューターに関する特許を)外国にも出願してあったとすると、この関係の売り上げが一兆〜一〇兆円としても、実施料二〜三%として二〇〇億円〜三〇〇〇億円の実施料が入ることになる。(あの『IBM帝国』の一九七六年度の利益が六〇〇〇億円である!)」というように試算し、「ビジコン社が特許の権利化に二、三億円の投資をしていたら、マイクロコンピュータによる『ビジコン帝国』が誕生していたであろうに!」と論じられている。
参考資料>
- 4004の発明に関わった日本人--- 嶋正利
1で述べたように、4004の開発には日本人の嶋正利氏が深く関わっている。しかし嶋正利のそうした業績が一般に広く知られるようになるまでにはかなり時間がかかった。現在では、1997年の第13回京都章(先端技術部門)、1998年の米国の半導体生誕50周年記念大会における"Inventor
of MPU (Micro-Processor Unit) "受賞など、その業績が広く一般に認知されるようになりつつある。
ただしインテル社のWebページでは2003年現在でも4004の開発に関してテッド・ホフらの記述はあるが、嶋正利氏の記述はない。また、Michael
Kanellos(2001)「革新は30年前に始まった――Intelチップ,進化の歴史(1)」 http://www.zdnet.co.jp/news/0111/15/e_chip30_m.html[ZDNet/USA,2001年11月15日配信記事]における「4004を考え出したのは,Ted Hoff氏,Stan Mazor氏,Federico Faggin氏の3人のエンジニア」であるというような記述も、まだ数多く見られる。
4004を含むシステム「MSC-4」に関する1972年の学会発表は下記の通りであり、嶋正利氏の名前は2番目の著者名として登場する。
F.Faggin,M.Shima, ; Hoff, M.E.; Feeney, H.; Mazor, S.(1972) "HE MCS-4 - An LSI micro computer system " IEEE '72 Region Six Conference ,pp.1-6 [IEEE Solid-State Circuits Magazine, Volume: 1 , Issue: 1 (2009) , pp.55 - 60に採録]
「4004の発明者は誰なのか」など4004の歴史に関わるその他の資料としては、別掲したインテルの資料や嶋正利氏の著作のほかに、下記のようなものがある。
- Allan,Roy A. (2001) A History of the Personal Computer, Allan Publishingの中のChapter3の1.Intelの節
http://www.retrocomputing.net/info/allan/eBook00.pdfやhttp://www.retrocomputing.net/info/allan/より全文ダウンロードが可能
- ASPRAY,WILLIAM (1997) "The Intel 4004 Microprocessor: What Constituted Invention?",IEEE Annals of the History of Computing, Vol. 19, No. 3, 1997,pp.4-15
http://pages.cpsc.ucalgary.ca/~williams/509pdffiles/INTEL_4004_Microprocessor.pdf
http://ar.aichi-u.ac.jp/lecture/infosys/history/INTEL_4004_Microprocessor.pdf
- Cassell, Jonathan (1999) "Who Really Invented The Microprocessor?"
http://www.ebnonline.com/25year/25_microprocessors2.html
- Faggin, F., Shima, M., Hoff, M.E., Feeny, H., Mazor, S. (1972) "The MCS-4 - An LSI Micro Computer System," Proceedings of the IEEE '72 Region Six Conference, pp.1-6. (IEEE Solid-State Circuits Magazine, Winter 2009,pp.55-60に再録)
- F. Faggin, "The Birth of the Microprocessor",Byte, March 1992, pp145-150
- F. Faggin, ME. Hoff, S. Mazor, M. Shima, "The History of the 4004", IEEE Micro, December 1996, pp10-20
- Robertson,Laurie (2005) "Anecdotes," IEEE Annals of the History of Computing archive, Volume 27 , Issue 2 (April 2005) ,pp.82-84
- Noyce, R., Hoff, M. (1981) "A History of Microprocessor Development at Intel," IEEE Micro, vol. 1, no. 1, 1981, pp. 8-21.
4004に関連するマニュアル等の資料としては下記のようなものがある。
4004のデータシート(1987)
http://download.intel.com/museum/archives/pdf/4004_datasheet.pdf
MCS-4のデータシート(1971年11月)
http://www.bitsavers.org/pdf/intel/MCS4/MCS4_Data_Sheet_Nov71.pdf
MCS-4のマニュアル(1973年2月)
http://download.intel.com/museum/archives/pdf/msc4.pdf
http://www.bitsavers.org/pdf/intel/MCS4/MCS-4_UsersManual_Feb73.pdf
4004の発表当時の広告(1971)
http://download.intel.com/museum/research/arc_collect/history_docs/pix/announcingad.jpg
嶋正利(1987)p.viの図1ほどではないが、IntelのWebページの図も4001、4002、4003を示す型番をほとんど読み取ることができない。本Webページに転載したR. Noyce and M. Hoff (1981) "A History of Microprocessor Development at Intel," IEEE Micro, Vol.1, No.1, p.9の図ではその点が明確である。
4004の内部構造を示す写真
http://download.intel.com/museum/research/arc_collect/history_docs/pix/4004.jpg
http://download.intel.com/museum/research/arc_collect/history_docs/pix/4004-visible.jpg
http://download.intel.com/museum/research/arc_collect/history_docs/pix/4004withanatomy.jpg
嶋 正利(しま まさとし)氏の略歴に関しては下記のWebページや論文が参考となる。
CPU開発に関連した嶋正利氏の自身の著作としては下記がある。
- 嶋正利・鎌田信夫(1975)「マイクロコンピュータ・アーキテクチャの諸問題〈第1部〉 --- 第1世代マイクロコンピュータ"4004から8008へ"」『トランジスタ技術別冊 インターフェース』1975年3月号、pp.47-62
- 嶋正利・鎌田信夫(1975)「マイクロコンピュータ・アーキテクチャの諸問題〈第2部〉 --- 第2世代マイクロコンピュータ8080へ」『トランジスタ技術別冊 インターフェース』1975年6月号、pp.p.14-29
- 嶋正利(1977)「Zilog Z80」『電子科学』1977年2月号,pp.31-50
- 嶋正利(1981)「マイクロコンピュータの誕生と発展」『エレクトロニクス・イノベーションズ』(日経エレクトロニクス・ブックス)日経マグロウヒル社、pp.159-185
- 嶋正利(1987)『マイクロコンピュータの誕生 --- わが青春の4004』岩波書店
- 嶋正利(1989)「マイクロプロセッサの誕生からパソコンまで」[SE編集部編『僕らのパソコン10年史』翔泳社,1989年所収,pp.48-61]
- 嶋正利(1993)「マイクロプロセッサの発展と将来」『情報処理』Vol.34, No.2(1993年2月号), pp.135−141
- 嶋正利・坂村健[対談](1995.8)]「マイクロプロセッサの過去、現在、未来 --- 対談 嶋正利vs坂村健」 『TRONWARE』Vol.34(1995.8),パーソナルメディア
- 嶋正利(1995)『次世代マイクロプロセッサ ;マルチメディア革命をもたらす驚異のチップ』日本経済新聞社
CPUの開発に関連しては本書の第1章第1節「マイクロプロセッサの発明」、第2章「マイクロプロセッサはどのようにうまれたのか」が特に興味深い。
- 嶋正利・坂村健[対談/巻頭特別インタビュー](1997)]「日本は世界に通用するMPUをつくれるか」『TECH B-ing』1997年7月号,pp.77-81
- 嶋正利(1998)「マイクロプロセッサの開発」[畑田耕一・宮西正宜編(1998.3)『科学技術と人間のかかわり』大阪大学出版会所収]
- 嶋正利(1999)「マイクロプロセッサの25年」『電子情報通信学会誌』Vol.82 No.10,pp.997-1017
http://www.ieice.org/jpn/books/kaishikiji/199910/19991001.html
- 嶋正利(2002)「技術開発と教育」『インターフェース』2002年6月号
http://www.cqpub.co.jp/interface/toku/2002/200206/toku1_1.htm
- 嶋正利・栗林正雄[対談](2003)「SOC(システム・オン・チップ)時代の創造的開発」『OLYMPUS TECHNO ZONE』Vol.58(2003),pp.2-9
http://www.olympus.co.jp/jp/magazine/techzone/vol58/index.cfm
- 嶋正利「嶋正利のプロセッサ温故知新」日経BP社>ITpro
http://itpro.nikkeibp.co.jp/members/bn/mokuji.jsp?OFFSET=0&MAXCNT=20&TOP_ID=230661&ST=platform
http://itpro.nikkeibp.co.jp/members/bn/mokuji.jsp?MAXCNT=20&TOP_ID=230661&ST=platform&OFFSET=20
http://itpro.nikkeibp.co.jp/members/bn/mokuji.jsp?MAXCNT=20&TOP_ID=230661&OFFSET=40&ST=platform
- Shima, M.(1978) "Two Versions of 16 - Bit Chip S - pan Microprocessor, Minicomputer Needs," Electronics,Dec 21.1978, pp.81-88
- Shima, M.(2005) "The Birth, Evolution and Future of the Microprocessor," The Fifth International Conference on Computer and Information Technology 2005, p.2
- Shima, M.(2009) "The 4004 CPU of my youth," IEEE Solid-State Circuits Magazine, Vol.1 , Issue 1,pp.39-45
講演記録
- 嶋正利(2000)「特別講演>マイクロプロセッサ:誕生からIT革命まで」
『情報伝送と信号処理ワークショップ』第13回 ワークショップ テーマ「IPネットワークの真価を問う」
http://www.ieice.org/cs/cs/jpn/csws/paper13/s-0shima.pdf
嶋正利氏関連の著作としては下記がある。
- 遠藤諭(1996)「世界初のマイクロプロセッサ4004を作った男 嶋正利」 『計算機屋かく戦えり』ASCII社,pp.425-441
- 4004をめぐるインテルとビジコン社
完成までのビジコン社の投資額は約10万ドル(3600万円)といわれる。ビジコン社は4004に関する日本での独占的製造権および日本や海外諸国への販売権を有していた。そこでインテル社は4004の意匠権と販売権をビジコン社から6万ドルで買い取った。
例えば、インテル社「マイクロプロセッサの歴史、あれこれ
」 http://www.intel.co.jp/jp/intel/pr/press2001/011115b.htmによれば、
「当初、このマイクロプロセッサの権利は、インテルに 60,000 ドルを支払っていたビジコン社が所有していました。しかし、インテルはこの“ブレイン(頭脳)”チップの可能性に気づき、マイクロプロセッサの権利と引き換えに、60,000
ドルを返金することを申し出ました。 ビジコン社はこの申し入れに同意し、インテルは 1971 年 11 月 15 日、全世界に向けて「4004」を発表しました。4004
の当時の価格は 1 個 200 ドルでした。」
とされている。http://www.intel.co.jp/jp/intel/museum/25anniv/html/iwh/iwhq9a.htm,[インテル社,1997年4月23日作成]においても同趣旨のことが書かれている。
またテッド・ホフもNHKのインタビューにおいて、「確か1971年の2月頃でしたが、日本では猛烈な電卓戦争が繰り広げられていて、窮地に立ったビジコン社の代表者たちは、LSI価格の値引きを申し入れてきたのです。そこでインテル社は、価格再交渉の条件はビジコン社が販売独占権を解除することだと申し入れました。1971年の5月か6月頃だったと思います。」と証言している。[相田洋(1992)『電子立国 日本の自叙伝 完結編』日本放送出版協会,p.164]
嶋正利も、ファジンが4004は電卓以外にも様々な応用ができそうだとインテル社の上層部に強く進言したことが契機となり、1971年6月から8月にかけてビジコン社との交渉が持たれ、「電卓の大量生産化競争による資金的な問題が生じてきたビジコン社は、開発費の返却とLSIのより低価格での入手の条件で、インテル社に外販の許可を与えた」[嶋正利(1987)『マイクロコンピュータの誕生 --- わが青春の4004』岩波書店,p.91]としている。(ファジンはNHKのインタビューにおいて「テッド・ホフも含めて、マイクロプロセッサーの本当の意味での将来性には、だれも気づいていなかったと思います。・・・しかし私は「4004」が成功するとすぐに、「4004がさまざまな用途に売れるのだから、ビジコン社の独占販売権を解除させるように再交渉すべきだ」とボブ・ノイスに申し入れました。私の強い主張を取り入れて、インテル社はビジコン社と再契約をし」たと証言している。[相田洋(1992)『電子立国 日本の自叙伝 完結編』日本放送出版協会,p.162]
)
これに対して一方の当事者であるビジコン社社長の小島義雄はNHKのインタビューにおいて、「1973年の4月24日に、今度はゲルバックというセールス・マネージャーからビジコン社との独占契約を解除してほしいと言ってきた」のに対して、「インテル社が売ったLSIに対して、5%のロイヤリティを払いなさいと、それで契約を結び直しました。それが、最後の契約でした」と答えたと述べている。[相田洋(1992)『電子立国 日本の自叙伝 完結編』日本放送出版協会,p.164]
遠藤諭(1996)『計算機屋かく戦えり』ASCII社,p.438も相田洋(1992),p.164に従い、「1973年にインテル社が5%のロイヤリティーを支払う条件で(ビジコン社の)独占権は解除された」としている。
4004を用いたビジコン社の電卓に関しては下記のWebページなどで見ることができる。
- なぜ、4ビットで設計されたのか?
電卓で取り扱う数字 XnXn-1Xn-2・・・X2X1の内のどれか1桁の文字は、「0から9までの10個の数字」、「小数点(.)」、「プラス(+)」、「マイナス(−)」という全部で13個の記号のどれかである。23=8、24=16より23<13<24となるので、13個の記号は最小限4ビットの情報量で取り扱うことができる。そこでCPUは4ビットで設計された。
4004の後継CPUである8008は、4004の発表(1971年11月15日)の約8ヶ月前の1971年3月(4004の完璧に動くサンプルが完成した月)に4004をもとに開発が開始され、一時開発中断の後1972年3月に完成した。このCPUは、数字以外に文字を取り扱おうとしたので、4ビットCPUではなく8ビットCPUとして設計開発された。
- ビジコン社の高級電卓
- 4004の動作周波数および計算時間について
下記のようなインテル社の公表資料では108KHzという数値が記されている。
なお2003年11月24日アクセスのhttp://www.intel.com/pressroom/kits/quickreffam.htm[インテル社作成日不明]では、4004の動作周波数は400kHzになっている。
しかし嶋正利(1987.8)『マイクロコンピュータの誕生 --- わが青春の4004』岩波書店,p. 58における記述(「最も基本になるクロックの周波数を750kHzとすると、大半の命令は10.8マイクロ秒(1秒間に9万2600回の命令が実行される)で実行される」)によると、、基本動作周波数は750MHzとされている。このように4004の動作周波数に関してインテル社資料と嶋正利氏の記述との間に食い違いがある。
この点に関して小松『半導体コレクション展示会場』「4004」http://www.st.rim.or.jp/~nkomatsu/intel4bit/i4004.html
も、「インテルジャパンのマイクロプロセッサのテクノロジの情報も4004や8008についてはクロック周波数が誤っていますね。どうもIntel本社の資料からして間違っているようです。」というように、Intel社資料の数値の誤りを指摘している。
小松氏によれば、Intelの推奨回路によるCPUの動作周波数は正確には750kHzではなく約741 kHzである。4004では命令は8クロックまたは16クロックで実行されたので、最短命令実行時間は1÷(741×10^3[1/s])×8=10.8μsとなる(なお動作周波数を750kHzとすると、最短命令実行時間は約10.7μsとなる)。インテル社の108KHzという数字は、この推奨回路で動作させた場合の最短命令実行時間10.8μsに由来する誤りであると思われる。
この点に関しては、「マイクロプロセッサの歴史」『インターフェース』2003年10月号
http://www.cqpub.co.jp/interface/toku/2003/200310/toku2.htm
も同様の見解であり、「4004のクロックに関しては,インテルの公式資料では108KHzとなっているが,これは誤りである.4004のニュースリリースで命令の実行速度が10.8μsとなっていたのを勘違いしたものと思われる」としている。
また藤広哲也(2002)『CPUは何をしているのか』すばる舎,p.214においても、4004の最大動作周波数は750kHzであるが、インテルの推奨回路では5.185Mhzの水晶発振出力を7分割した740.7kHzのクロックを用いるようになっている、とされている。
- Intel側から見た4004の開発事情にかんする証言
- 4004の歴史に関連するWebページ
- Michael
Kanellos(Staff Writer, CNET News.com),"Intel's Accidental Revolution"2001. 11.14