パソコン市場形成期におけるIBMの技術戦略
--- the IBM Personal Computer の開発プロセスに関する技術戦略論的視点からの分析 ---

佐野正博(明治大学経営学部)

    内容構成
  1. はじめに --- なぜIBM PCなのか?
  2. 1970年代中頃におけるパソコン市場
  3. 1970年代後半におけるパソコン市場の急激な成長

  4. IBMのパソコン開発前史

  5. IBMのPC市場参入時の戦略 --- --- IBMはパソコン市場参入への遅れの不利をどのように克服しようとしたのか?

  6. なぜIBMは、IBM PCに8ビットCPUではなく16ビットCPUを採用したのか?

  7. なぜIBMは、IBM-PCに8088を選択したのか?

  8. IBM-PC発表当時の他社パソコンとの基本構成の比較

  9. IBM-PCの売り上げ


はじめに --- なぜIBM PCなのか?
 IBMは1981年にIBM PCをもってパソコン市場に新規参入し、劇的な成功を収めた。そうしたIBMの成功を説明する主要な見解の一つに、「IBM PCは技術的には平凡なマシンであったが、IBMのブランド力によって成功した」というものがある。IBM PCは、その当時の技術水準から見て極めて平凡なマシンであったにも関わらず、IBMが大型コンピュータ(メインフレーム)市場としてそれまでに築き上げてきたブランド力によってPC市場でも成功した、というのである。
 例えばイノベーションに関するドミナント・デザイン論で有名なアッターバックは、その代表的著作『イノベーション ダイナミックス』の中で「(IBM PCの発売当時に)ほとんどの専門家はIBM PCは技術的には飛躍的前進がまったくない(no breakthrough technological breakthrough)と評価していたにも関わらず、IBM PCは瞬く間に業務用市場の30%を押さえてしまった。・・・技術的にみれば必ずしも十分ではなかったにもかかわらず、IBM製品は(ドミナントデザインの地位を獲得し)パソコン産業を普遍的なものとして確立させた。」(アッターバック『イノベーション ダイナミックス』有斐閣,p.38、引用文中の括弧内は引用者による補足) とか、「(機械式タイプライターにおけるアンダーウッド5型機と同じようにIBM PCは、ブレークスルーとなる技術を市場に対してほとんど何ももたらさなかった。IBM PCは、その当時のユーザーにすでにその価値が認められていた、ありふれた諸要素を一緒にしたものに過ぎなかった。」(アッターバック『イノベーション ダイナミックス』有斐閣,p.49) と語っている。また、Frank Hayes(1999),"100 years of IT",Computerworld,33(14),p.74は、「標準的部品と借用されたアイデアをつぎはぎして雑に作り上げられたものであったが、PCはIBMのブランド名ゆえにすぐに成功した。」("Cobbled together from standardized parts and borrowed ideas, the PC enjoyed instant success because of IBM's brand name) と記している。
 IBMのブランド力が成功の度合いを大きくした要因の一つであることは間違いないが、ブランド力のなかったMITSやAppleの成功、および、ブランド力のあるZeroxやAT&Tの失敗などに示されているように、パソコン市場における成功や失敗の最も規定的な要因は、ブランド力ではなく、その技術的競争力や価格競争力にある。(Zerox社のパソコン市場参入の失敗のプロセスについては、Douglas K. Smith(1988),Fumbling the Future --- How Xerox Invented, Then Ignored, the First Personal Computer,Harpercollinsが参考になる。)
 本稿ではそうしたパソコン市場の特性に関して、1970年代後半から1980年代初頭におけるパソコン市場形成期におけるIBMの技術戦略に焦点を当てながら技術の形成史的視点から分析したものである。
  1. 1970年代中頃におけるパソコン市場
  2. (1)8ビットCPU「マイコン・キット」Altairの先駆的な「商業」的成功

     
    (2)1975年における大型コンピュータ市場と比べたパソコン市場の相対的規模

     
    (3)1970年代中頃におけるパソコン市場の将来的成長性

  3. 1970年代後半におけるパソコン市場の急激な成長
  4.  マニアを中心とした「商業」的成功とは言え、Altairの登場を契機とした1970年代後半以降のPCブームは、それ以前のマイコンキット・ブームとは質を異にする点があった。それは、それまでのPCブームが<ハード中心のブーム>に過ぎなかったのに対して、今度のPCブームはCPUの性能向上と価格低下を背景として<ハードとソフトの協調によるブーム>へと性格を変えていたということである。こうした性格変化を背景として、アメリカのPC市場は大きな飛躍を遂げることになった。
     しかもVisiCalcマシンとしてのAppleIIへのビジネス・マンの人気に見られるように、パソコンは単なるマニアの趣味のための機械からビジネス用へとその性格を変えつつあった。

    (1)アップル社のAppleII、 Commodore社のPET、タンディ社のTRS-80の成功


    (2)単なるマニア向け商品から、ビジネスマン向け商品への転換を開始しはじめた米PC市場---1981年の米国パソコン市場の約8割がビジネス用途

      フロッピー・ディスクのサポート、および、表計算ソフトVisiCalcのヒット
      AppleIIの成功の主要な二つの要因・・・FDDおよびVisiCalc
      Apple社の創設者の一人であるSteve Wozniak は、雑誌『Byte』における1984年のインタビュー(http://apple2history.org/museum/articles/byte8501/byte8501.html)の中で、AppleIIの成功の主要な二つの要因として下記の2点を挙げている。
      a.フロッピー・ディスクのサポート
      b.VisiCalcという表計算ソフトが発売後最初の1年間はAppleII上でしか動かなかったこと

    (3)1970年代後半期における日本のパソコン市場


    (4)1981年当時のパソコン市場


  5. IBMのパソコン開発前史 --- IBM-PC以前の「パソコン」(IBM 5100シリ−ズほか)
    1. コンピュータ市場の基本構造 ---- メインフレーム、ミニコン、パソコン
    2.  メインフレーム市場ではIBM360シリーズ(1964年4月)などで大成功を収めたIBMであったが、ミニコン市場ではあまりうまくいっていなかった。ミニコン市場はDECが1960年代中頃に開拓した市場であるが、IBMも1969年には参入を開始した。しかし参入から10年を経過した1980年時点でも市場シェアは4%程度であった。
       DECが1965年4月に1万8千ドルで発売したPDP−8を契機として、ミニコン市場が確立した(ちなみにマイクロソフト社を後に創立することになるビル・ゲイツとポール・アレンがAltair8800用にBASIC言語を移植する際に用いていたのもDEC社のミニコンPDP-10であった)。DECはミニコン市場の拡大とともに売り上げを伸ばし、1977年6月期決算で初めて10億ドル台を突破し、10億5900万ドルになった。そして4年後の1981年6月期決算ではその約3倍の31億9800万ドルの売り上げでIBMに次ぐ第2位の売上げのコンピュータメーカーとなっている。(なおIBMは1980年の12月期決算においてDECの約8倍の262億1300万ドルの売上げを記録している。)

       
    3. パソコン市場参入の必要性に関するIBM社の認識
    4.  上記のようにミニコン市場への参入が遅れたこともあり、IBMはミニコン市場で伸び悩んでいた。パソコン市場でもミニコン市場と同じことを繰り返す恐れに対してIBMは何らかの対策を打たなければいけないことは認識されていた。パソコン市場の規模や将来的発展に関して疑問の声が一部にあったにせよ、1970年代後半期におけるパソコン市場の飛躍的成長と性格変化を前にして、パソコン市場へ参入する必要があることはIBM社内においても強く認識されていた。
       例えば、1970年代半ば頃、IBMの経営幹部の多くはパソコンに消極的であったが、その当時のIBM会長フランク・ケアリーは「メインフレームの売上げは、必ず横ばいになる。そのときに例年どおり年15パーセント成長を維持するには、パーソナルコンピューター市場に移行するしか方法はない」(チャールズ・H.ファーガソン,チャールズ・R.モリス[藪暁彦訳](1993)『コンピューター・ウォーズ、21世紀の覇者 : ポストIBMを制するのは誰か! 』同文書院インターナショナル,pp.36-37)というように、低価格のパソコン市場が将来的に大きく成長する、と確信していたと言われている。後年のNHKのインタビューの中では、「私は、パソコンの分野は非常に将来性が高いので、IBMもこの分野に進出して他社に負けないようになるべきであると強く感じていました。もちろん、パーソナルコンピュータの将来が、最終的にどのようになるかわかっていたわけではありません。ただ、個人や企業向けの小型のワープロへやデータ処理マシンへの需要が大きいことは明らかでした。」[相田洋・大墻敦(1996)『新・電子立国 第1巻 ソフトウェア帝国の誕生』NHK出版,p.242]と述べている。
       またIBM PCの開発チームの責任者であったPhilip D. (Don) Estridgeは1982年に受けたインタビューの中で、なぜIBMがパソコン市場に参入したのかという質問に対して、" The simplest reason is that it represents an opportunity for business. With the explosion that occurred between 1977 and 1979, it became enough of a business to be interesting. "と応えて、1977年以降のパソコン市場の急速な発展を市場参入の第一の理由に挙げている。


    5. IBMにおける「パソコン」的製品開発の試み
    6.   1970年代後半期にIBMはパソコン開発に関連してまったく手を打たなかったわけではない。実際、 IBMは1981年のIBM PC以前にも「パソコン」的な製品開発の試みをすでに何度か行っていた。ただ市場で販売できるような商品としてのPCを社内製造を基本として開発することには成功しなかっただけである。
       例えば、1973年のSCAMP(Special Computer, APL Machine Portable) project は、General Systems Division (GSD) が約半年間でプロトタイプを開発した。そのマシンでは、APL(A computer Programming Language)というインタープリター型(対話型)のプログラミング言語が動いた。
       1975年9月には、IBM 5100 Portable Computerが発表された。そのマシンではAPLおよびBASICという二つのプログラミング言語を利用できた。このマシンの名称には Portable という単語が使われてはいるが、当時の約500kgもするコンピュータと比べてという意味であり、その重量は約23kg(50ポンド)もあった。また搭載メモリ量(16K,32K,48K,64K)および搭載言語によって異なるその販売価格も、右表のように$8,975 〜$19,975という高額のものであった。
       IBM 5100シリーズはその後、IBM5110(1978)、IBM5120(1980)、IBM system/23 Datamaster(1980)というように開発が進められた。
       IBM system/23 Datamasterは、small business向けの手頃な価格のコンピュータとして1978年2月に開発が開始された。BASICでビジネス用アプリケーション・ソフトを動作させる
       こうしたプロジェクトは、それら自体としては結果的に商業的失敗に終わったが、IBM PCの開発プロジェクトにおいてCPUやOSまでも含めた社外資源の活用(アウトソーシング)がIBM社内において「許される」大きな要因となった。
      IBM 5100 Portable Computer
      の価格表
      搭載メモリ量 BASIC言語
      のみ搭載
      APL言語
      のみ搭載
      両言語
      搭載
      16KB
      $8,975
      $9,975
      $10,975
      32KB
      $11,975
      $12,975
      $13,975
      48KB
      $14,975
      $15,975
      $16,975
      64KB
      $17,975
      $18,975
      $19,975

      上記のようなIBM社におけるIBM-PC以前のパソコン開発に関わる歴史に関しては、http://www-1.ibm.com/ibm/history/exhibits/pc/pc_1.html以下のWebページがとても参考になる。また"Pop Quiz: What was the first personal computer?”(http://www.blinkenlights.com/pc.shtml)の中の"Was it the IBM 5100? "という項目の記述やhttp://www.brouhaha.com/~eric/retrocomputing/ibm/5100/http://cma.zdnet.com/book/upgraderepair/ch01/ch01.htmなども参考になる。

      IBM 5100 Portable Computer(1975)の写真
      [出典]http://www-1.ibm.com/ibm/history/catalog/itemdetail_59.html,2002.10.10



  6. IBMのPC市場参入時の戦略 --- IBMはパソコン市場参入への遅れの不利をどのように克服しようとしたのか?
  7. サ−ド・パーティの活用とオープン・アーキテクチャ方式の採用による短期間でのPC開発
       パーソナル・コンピューターの開発は、その当時のIBM会長フランク・ケアリーの個人的プロジェクトとして実行された。ケアリーは「1980年の6月か7月頃、・・・改めてアップルに負けない製品を作るためのプランを立てるよう部下たちに要請した」[相田洋・大墻敦(1996)『新・電子立国 第1巻 ソフトウェア帝国の誕生』NHK出版,p.243]のである。なお当時のIBM社長であったオペル(John R. Opel)も、「かってIBMがデスクトップ型コンピュータを市場に出すのに失敗した経験があるにもかかわらず、ぜがひでもこの分野で勝利を収めたいという願望」(ジェイウムズ・クボスキー、テッド・レオシンス著、近藤純夫訳 (1989)『ブルーマジックー --- IBMニューマシン開発チームの奇跡』経済界,p.60)を持っており、IBM PCの開発プロジェクトに賛成したと言われている。
     先行の自社開発PCプロジェクトの「失敗」を貴重な教訓として、IBM PCの開発においては、IBMの企業経営委員会(corporate management committee)に図る時から、@「オープン・アーキテクチャの採用」、A「16ビットCPUの採用」、B「IBM営業部とは直接の関係のない小売店舗網での販売」、という三つが条件であった(Chposky, James, and Leonsis, Ted.(1988) Blue Magic: The People, Power & Politics Behind the IBM PC,Facts on File Publications,p.20[近藤純夫訳 (1989)『ブルーマジックー --- IBMニューマシン開発チームの奇跡』経済界,pp48-49])と言われている。

    1. IBU方式での短期間(1年間)での商品開発

    2. PCの主要部品および周辺機器の外部調達(アウトソーシング)

    3. IBMのオープン戦略

    4. IBM PCの拡張性

    5. IBM-PCの写真
      [出典]http://www-1.ibm.com/ibm/history/catalog/itemdetail_19291.html,2002.10.10




  8. なぜIBMは、IBM PCに8ビットCPUではなく16ビットCPUを採用したのか?


  9. なぜIBMは、IBM-PCに8088を選択したのか?



  10. IBM PC発表当時の他社パソコンとの基本構成の比較



  11. IBM-PCの売り上げ