科学論的思考と哲学的思考の接点—理論的概念の「導出」=「派生」関係の曖昧性

1.二つの理論の「包摂=非包摂」関係問題
アインシュタインの特殊相対性理論における力に関する運動方程式F=dP/dt=d/dt(mv)、すなわち、運動量Pの時間微分を力Fとするという「法則」は、ニュートン力学における力に関する運動方程式F==m×dv/dtを数学的な特殊解として「内部」に含んでいる。
 というのも、アインシュタインの特殊相対性理論における力に関する運動方程式を上記からさらに変形すると、F=dm/dt×vm×dv/dtとなるので、dm/dt=0という「特殊な」条件が成立する時に、ニュートン力学における力に関する運動方程式F=が「数学」的には成立することになる。

 ニュートン力学的自然像では「質量mが時間的には変化しない」=「質量保存則が成立する」と想定されているので、dm/dt=0はニュートン力学の世界では「普遍」的に成立している条件である。

 これに対してアインシュタインの特殊相対性理論に基づく自然像では、物体の質量mは速度v=dx/dtに変化する変数であるから、時間tに対して不変ではないとされるので、dm/dt=0となるのはある「特殊な」場合だけである。

 「dm/dt=0の成立が「普遍」なのか?、それとも「特殊」なのか?」が、ニュートン力学とアインシュタインの特殊相対性理論の「理論」的な対立点である。

 しかしそれはまた「アインシュタインの特殊相対性理論はニュートン力学を特殊解としてその内部に数学的に包摂している」ことを意味している。もちろんその逆の「ニュートン力学がアインシュタインの特殊相対性理論を特殊解としてその内部に数学的に包摂している」ということは成り立たない。

 ただしこうしたアインシュタインの特殊相対性理論からニュートン力学が導出されるという二つの理論の「包摂=非包摂」関係は、数学的関係であって、歴史的関係ではない。歴史的な導出=被導出関係はそうした数学的関係とは逆であり、ニュートン力学の運動方程式からアインシュタインの特殊相対性理論における運動方程式が「自然な」拡張として導出されたのである。
 すなわち認識の歴史的形成過程としては、古典的なイメージ通り、「特殊」的なものからより「普遍」的なものへと歴史的に「進歩」すると考えることができる。

2.二つの理論的概念の「包摂=非包摂」関係問題
理論の場合には前述のように相対的に単純であるが、理論的概念の場合にはそう単純ではない。

例えば、円という理論的概念「一つの中心からの距離が一定であるような点の集合が描く幾何学的図形」と楕円という理論的概念「二つの点(すなわち、焦点)からの距離の和が一定であるような点の集合が描く幾何学的図形」は、前述のような単純な「包摂=非包摂」関係にあるとは思えない。

というのも数学的には、「円をx軸方向またはy軸方向に一律に圧縮することで楕円を導出することができる」とともに、「楕円を構成している二つの点を限りなく近づけ一致させて円を導出できる」からである。数学的操作としてはどちらか一方の理論的概念から他方の理論的概念を常に導出可能になっているのである。

 このことは三角形と多角形との関係にも当てはまる。外に凸な多角形は簡単に三角形に分割可能であるが、そのことは「三角形から多角形を数学的に導出可能である」ということを意味している。

 しかしこのことは、三角形の集合の「特殊な」場合として多角形がその内部に数学的に含まれているということにはならない。。


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