経営技術論2015.07.16

[前回の授業概要]経営技術論2015.07.09
[次回の授業概要]経営技術論2015.07.23
1. 雑誌の「定額読み放題」サービス・システムに関する「先駆者/後発者」論、「補完財的バンドワゴン効果」論、「市場需要獲得に必要な最低限度の性能」(コストに見合う、あるいは、コストを上回る便益)論という視点からの考察
 
(1) 先駆者(1st mover)としてのソフトバンクの「ビューン」サービス事業(2010年6月サービス提供開始
 
a. 「先駆者」的事業をソフトバンク会員専用サービス(限定サービス)として提供することに関わるソフトバンクの経営戦略的判断 — ソフトバンク・ケータイ事業のdifferentiationによる競争優位性の確保
 
b. ビューンの「先駆者」としてのdisadvantage、および、「コストを上回る有用性の確保」=「市場で求められる最低限度の性能を超えること」の必要性
下記のエルネオス出版社(2011)におけるビューン関係者の話によれば、最初の無料サービス時に登録会員数が12万人であったが、有料会員として継続したのは1万人以下であった。
藤井涼(2013)では、ビューン代表取締役社長の蓮実一隆の話として、ビューンのサービス開始から3年近くになる2013年4月時点においても、「現在はまだ、アーリーアダプターや本当にこういったサービスが好きな方だけが電子書籍を読んでいる状態」であることが紹介されている。
 
 
(2) 後発者(follower)としてのNTTドコモの「dマガジン」サービス事業
a. 後発者による「同質化」戦略としての「dマガジン」サービス事業
ケータイ・サービスの機能に関して他社にはないものを先駆者として提供したソフトバンクに対抗するため、「同種のサービスを提供する」という「同質化」戦略をauおよびNTTドコモは採用した。ただし、ケータイ・サービスの機能に関する「同質化」戦略の展開の仕方は、auとNTTドコモでは異なっている。
 
b.「同質化」戦略における競争優位性の確保法
機能に関する「同質化」戦略における競争優位の確保法としては、性能に関する「差異化」、あるいは、「低コスト化」という二つのアプローチがある。
NTTドコモは、「読み放題対象雑誌」数に関して、ビューンの70誌を上回る雑誌数(現在、130誌)を確保することで数的競争優位を獲得した。(対抗策として、2015年7月になりビューンも130誌としたが、新規会員募集はしておらず自己防衛策としての意味合いが強い。)
 NTTドコモの「dマガジン」事業は、そうした性能による「差異化」によって顧客拡大を実現することで、「読み放題対象雑誌」数の拡大のために雑誌社のインセンティブを高めた。雑誌社としてはより顧客数の多い「読み放題定額サービス」に自社コンテンツを提供する方が、自社の収益をより拡大できる。
 なおNTTドコモは顧客拡大のために、ソフトバンクとは異なり、NTTドコモ・ケータイ会員専用サービス(限定サービス)とはしなかった。自社ケータイ会員だけでなく、ソフトバンクケータイ会員やauケータイ会員も対象とすることで潜在的顧客数を他社よりも大きくすることで会員数拡大を図った。
 これはNTTドコモが、自社ケータイサービス事業を優先しケータイサービス事業の競争力確保のための付加的事業として事業展開するのではなく、コンテンツ・プロバイダー事業を優先しコンテンツ収益の拡大を目的として事業展開を図ったことを意味するものと解釈できる。
 NTTドコモは会員数拡大によって「読み放題対象雑誌」数の拡大するとともに、「読み放題対象雑誌」数を拡大し顧客ごとに異なるキラーコンテンツの拡大によって海員数拡大を実現する、というバンドワゴン的効果の利用を図っているのである。
 
c. NTTドコモの「dマガジン」サービスの急速な普及
ソフトバンクの「ビューン」は2010年6月にサービス開始という先駆者である。これに対して後発者の「dマガジン」のサービス開始は2014年6月と4年も遅れた。
 それにも関わらず後発者の「dマガジン」は、9か月間で190万人を超える会員数を獲得するという急速な普及を遂げた。先駆者のビューンは、まだ事業を継続するとともに、読み放題の雑誌数を6月までは約70誌であったのを7月には「dマガジン」に並ぶ130誌以上にするなど努力を続けているが、2015年6月23日で新規申込みの受け付けをやめるとともに、新サービスとして「ブック放題」の利用を推奨している。

なお「dマガジン」は、「ビューン」に対して開始が遅れただけでなく、NTTドコモにおける定額サービスとしても後発である。NTTドコモは定額動画配信サービスのdtv(旧dビデオ)を2011年11月に、定額音楽配信サービスのdヒッツ、定額アニメ配信サービスのdアニメストアを2012年7月にサービス開始しているのに対して、定額雑誌配信サービスの「dマガジン」は2014年6月と遅かった。それにも関わらず2年も前にサービス開始している先行のdアニメストアを超える会員数となっている。

NTTドコモ関連の定額制デジタル配信サービスの会員数(2015年3月末現在)
サービス名 月額 提供開始 会員数 備考
dTV 500円 2011年11月18日 468万人
dヒッツ 300円/500円 2012年7月3日 304万人
dアニメストア 400円 2012年7月3日 183万人
dマガジン 400円 2014年6月 191万人
 
(3) ソフトバンクの対抗策:「ブック放題」サービス —- NTTドコモの「dマガジン」サービスへの対抗策としての新規サービス事業
ソフトバンクは、NTTドコモの「dマガジン」サービスに対して競争力を失ったビューンに代わる新しいサービスとして、2015年6月に「ブック放題」という新しい定額読み放題サービスの提供を開始した。定額読み放題の対象となる雑誌数は、NTTドコモのdマガジンと同じ130誌以上となっているだけでなく、マンガを1,000作品以上も読み放題となるなど、サービス本体それ自体としてはdマガジンよりも高い競争力を持っている。
しかしこのサービスには、「補完財に関するバンドワゴン効果」という理論的視点から考察すると、会員数拡大に向けて下記のような問題点がある。
1) 利用可能な顧客対象範囲の限定性 — ソフトバンク利用者限定という問題点
利用開始に際しての会員登録時にソフトバンク携帯電話の利用申込時に設定した暗証番号が必要であるなど、利用にはソフトバンク携帯電話契約者であることが必要である。ビューンと同じく、ソフトバンク携帯を利用していない顧客は、本サービスを利用できない。
2) 利用可能デバイスの限定性 — 一般PCで利用できないという問題点
利用可能なデバイスがiPhone、iPad、SoftBank スマートフォン・タブレットに限られており、auのブックパスのように一般PCでの利用は許されていない。この点ではdマガジンと同じである。
 
[参考資料]

[考察してみよう]
Amazon.comのkindle、楽天のKoboといった電子書籍サービスと、NTTドコモのdマガジンの差異に関して、「個別販売」型 vs 「定額読み放題」型という視点以外にどのような視点から論じることができるのかを考えてみよう。
 例えば、専用機 vs 汎用機という視点からも分析してみよう。

 
2.先駆者コスト(pioneering costs)問題
先駆者は、新しい技術的方式の研究開発・実用化・社会的受容および新規市場の形成期における小規模さなどのために下記のような「先駆者コスト」pioneering costs を負担することが必要となる。
 
  1. 行政当局の承認(regulatory approvals)の獲得
  2. 法的規制(code compliance)の達成
  3. 買い手の教育
  4. サービス設備や訓練などのインフラ基盤(infrastructure)の開発
  5. 原材料(raw material sources)や新型機械(new types ofmachinery)など必要資材(needed inputs)の開発
  6. 補完製品(complementary products)の開発に対する投資
  7. 供給不足(scarcity of supply)またはニーズの小規模さ(small scale of needs)による初期資源(early inputs)の高コスト性
[考察してみよう]
課題1 先駆者コストとしての「買い手の教育」ということの意味を具体的事例で説明しよう。なおその際に、経営技術論におけるusefulness, wants, dmeandの区別という視点との関連で説明しなさい。
 
課題2 先駆者コストとしての「補完製品(complementary products)の開発に対する投資」ということの意味を具体的事例で説明しよう。なおその際に、補完財に関するバンドワゴン効果という視点との関連で説明しなさい。
 
3.技術発展に関するS字曲線的発展と市場セグメント規定
製品イノベーションが普及する場合と普及しない場合を説明するための理論的モデル
ある顧客が製品イノベーションが採用されない場合と採用されない場合を説明するための理論的モデル
2015-07-16-fig1
 
 
 
(1) 製品性能の技術的発展は、学習曲線と同じようなS字曲線を描く
図1に示したように、ある特定の製品の性能は、1) 初期にはさほど向上しないが、2) やがて一定コストを超えると急激な性能向上が始まり、3) しばらくすると技術発展のための研究開発にどれだけ時間をかけても、あるいは研究費をかけてもほとんど性能が向上しない、ようになる。
 
(2) 製品が一定以上の需要を持つためには、一定以上の性能を持つ必要がある。すなわち、「性能下限」以下の性能しか持たない製品に対しては市場における大きな需要は期待できない。
(3) 製品が一定以上の需要を持つために必要な「性能下限」は、時間経過や資源投入量の増大とともに上昇する。
製品セグメントの規定は、製品の機能や性能に関する規定でもある。製品がある製品セグメントに属するということは、製品が定めらた機能を持っていること、および、それぞれの機能に関して一定以上の性能を持っていることを意味する。ただし、市場で求められる製品におけるそうした性能の最低限度(「性能下限」)は時間経過や製品技術の発展とともに上昇する。
 
[関連事例1]ケータイにおけるカメラ機能の性能進化
「多機能携帯端末」(ケータイ)製品セグメントに属する製品であるためには、音声通話機能以外に、カメラ機能、PDA機能、WEBブラウザ機能などを持つことが最低限度として必要である。
カメラ機能が最初に搭載された1999-2000年当時の性能は11万画素に過ぎなかった。1999年9月発売の京セラ製のDDIポケット用端末「VP-210」に搭載されたカメラは、テレビ電話用途を想定したインカメラのみであり、市場でそれほど高い評価を得ることができなかった。2000年11月発売のシャープ製のJフォン(現ソフトバンク)用端末は、11万画素という低性能ではあったが、市場で高く評価され、「写メール」というJフォンの登録商標が流行語として社会的に定着したことに示されるように大ヒットした。その結果として、Jフォンは2002年3月にはauのシェアを抜き、携帯業界でNTTドコモに次ぐ2位になった。

[参考資料]鈴木孝知(2002)「ドコモ版「写メール」が5月にも登場,J-フォンを突き放せるか?」ITpro by 日経コンピュータ, 2002/03/18

Mobile-phone-Camera
 最近ではソニーのXperia Z4 SO-03G(2014年6月発売開始)で2070万画素、サムスンのGalaxy S6で約1,600万画素、相対的に低性能のアップルのiPhone6でも800万画素と高性能化が急速に進んでいる。15年間でケータイ搭載カメラの画素数は、約200倍に達するほどまでの高性能化を遂げたのである。

 ケータイは、カメラ機能、ビデオカメラ機能、PDA機能、WEBブラウザ機能、音楽再生機能、動画再生機能など多様な機能を次々と付け加えるという製品イノベーションで製品進化を遂げてきた。現在では、音声通話専用の携帯型機械という「携帯電話」製品セグメントに属する製品とは異なり、「多機能携帯端末」(ケータイ)製品セグメントに属する製品ではカメラ機能が必須である。

 
[関連事例2]徹底した低コスト化を追求したインドのタタ自動車の「ナノ(Nano)」(2009)
インドの自動車大手メーカーのタタは、インドにおける2輪車ユーザーの多くを乗用車に移行させることを目的に、10万ルピー(28万円)という極めて低価格な自動車の構想を2003年に打ち上げた。そして2009年には目標を少し上回る約11万3千ルピー(当時の交換レートで約21万7千円)という価格で4ドア小型自動車「タタ・ナノ」を販売開始した。
ナノは低価格のため下記のように、通常の自動車が標準的に持っている機構や機能を持っていない。
  1. 「助手席側のドアミラーを省略し、運転席側のみに装備」
  2. 「ワイパーは2本ではなく、1本のみ」
  3. 「ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)機構はない」
  4. 「衝突時の安全確保のためのエアバッグ機構もない」
  5. 「エアコンは標準装備ではない」(エアコン付きは16万ルピーと4割ほど高くなる)
 
 ナノのそうした技術的構成により部品点数が通常の2/3から半分程度まで減少させたことで低価格化を実現し、cost leadership的な競争優位性の確保には成功したが、安全性の面で市場で求められている性能を満たしていないのではないかということが問題となり、積極的な広告・宣伝、販売促進の努力にもかかわらず、年間販売台数はピーク時で7万5千台(2012)、最近は約2万台程度と「年間販売台数24-25万台」という初期目標を大きく下回る数値となっている。
川野義昭(2015)によれば、ナノが本来の対象としている「初めて乗用車を購入する」顧客(「1台目需要層」)にとって、ナノの機能・性能は必要最低限度を下回るものであった。ナノを購入しているのは、すでに1台は乗用車を持っている顧客が追加で購入する「2台目需要層」であるが、その数は「1台目需要層」に比べ少ない。
 
[関連参考資料] (1)-(5)のみ配布
(1) 小林明(2014)「印タタ自動車工場ルポ 「ナノ」に試乗してみた」日本経済新聞電子版, 2014/7/11
(2) 「インド自動車市場、低価格から100万円にシフト」日本経済新聞電子版2014/3/11
(3) 森脇稔(2014)「タタの超低価格車、ナノ …インドの衝突安全テストに失格」2014年2月3日
(4) マシュー・デボード(2010)「タタ自動車の「ナノ」は炎上する」newsweekjapan.jp, 2010年3月24日
(5) Siler,W.(2010)”Four Tata Nanos Go Up In Flames In India” jalopnik.com, 2010/3/22
(6) 川野義昭(2015)「「Nano」の失地回復なるか、成長するJaguar Land Rover 第6回:Tata Motors社」日経Automotive, 2015/03/10
[原出典]『日経Automotive』2015年4月号、pp.90-93
(7) 日経ビジネス編集部(2013)「コモディティー化最前線、インド 世界の「激安車」工場」(特集 50万円カーの衝撃 1章)『日経ビジネス』2013年3月25日号, pp.28-33
(8)「新たな発想の低価格車づくりを支える 「ナノベーション」の秘密」(連載 グローバルセンス インドを知る タタ流ものづくりの研究第3回)『日経ものづくり』2012年3月号, pp.82-86
(8) 江村英哲(2010)「インド「国民車」に解約多発」『日経ビジネス』2010年01月18日号,p.11
(9) Penny MacRae(2010)「苦しむ低価格車「ナノ」、11月の販売たった509台」2010年12月27日、AFPニュース(10) Brandon Turkus(2015)「安すぎて売れない? 激安車タタ「ナノ」の意外な盲点とは?」 Autoblog Japan、2015年03月08日
 
(4) ある製品セグメントにおいて有意味なものとして評価される性能には上限が存在する。製品は、市場で評価される「性能上限」を超えても製品競争力は増加しない。
(5) ある製品セグメントにおいて有意味なものとして評価される「性能上限」は、時間経過や資源投入量の増大とともに上昇する。
製品がある一定以上の性能を有していても、市場では評価されない。ただし、市場で求められる製品におけるそうした性能の上限は時間経過や製品技術の発展とともに上昇する。
 
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