本報告では、いくつかの高校の「世界史」の現行の教科書において、どのような技術史的事項がどのように取り上げられているのかを分析することを通じて、技術の歴史が現にどのように描かれているのかを検討するとともに、技術の歴史がどのように取り扱われるのがより適切なのかを考えてみたい。
前提作業として、次の2点を基本的視点として確認しておく。
第1の基本的視点は、「世界」史と技術史の関係についてである。そもそも、「世界」史(歴史)の構成分野には、政治史、社会・生活史、産業史、文化・芸術史等々の個別分野があり、技術史も本来はその一つである。しかし、実際の「書かれた」世界史(歴史)書には、技術史(的内容)は、殆どないか、断片的付け足しでしかない。世界史(歴史)に技術史は必要なのか、不要なのかということであり、必要ならば何故かを明確にしておかなければならない。
第2の基本的視点は、歴史の流れを総合的に捉え近現代社会をよりよく理解し、将来を考える力を育成するという高校の歴史教育への社会的要請に応えるためには、技術の歴史における何をどのように取り上げるべきなのかを、歴史「通史」と技術史の連環から考えるということである。あえて換言的に言えば、技術史のための技術史でも、「歴史通史」でもないということである。
さて、学習指導要領から要請されている立脚点-近現代社会を理解し、将来を考える枠組としての手掛かりとしては、近現代社会における科学および技術の社会変化・社会影響の増大化を無視することができないことについては、おおかたの同意をえられるのではなかろうか。しかし、「技術一般」が、社会変化を起こした(影響した)わけではなく、社会変化の要因となったのは、個々の技術であり、それらの技術の歴史的な連鎖は逆に社会的諸関係の中で推し進められてきたのである。単なる技術史的「史実追求史」ではなく、「社会は技術(技術変化)によってどのように成り立ち、また変化してきたのか?逆に、技術は社会諸関係によってどの様なものになってきたのか、また現になっているのか?そして、そのような技術によって社会と人間はどの様な事態に直面しているのか?」を考えるためには、どのような史実が提示されるべきであろうか。